「寂し気な恐竜たち−新聞の未来−」河内孝さん講演
地方紙の社員が作るローカルメディアネットワークが主催するイベント『吠えろ! ローカルメディア 〜「新聞なんていらない?」なんて言わせない!!』 で「新聞社―破綻したビジネスモデル」を書かれた元毎日新聞社の常務である河内孝さんが講演するということで参加してきました。
断片的なログなので、本を読んだ上で補足してもらえればより分かりやすいと思います。
河内孝講演「寂し気な恐竜たち−新聞の未来−」
某新聞社の社長がアメリカに行ったときにAP通信の幹部と話した会話。「アメリカでは発行部数が減っているし大変だと」聞いたそうだが、「日本の新聞は大丈夫。まず、日本の壁に守られている。株を公開していないし、株の譲渡についても特例がある。再販に守られている」と3つの理由を述べたそうだが、この3つの理由がクビを閉めていくことになる気がしている。
広告が下がっているが「ネットだ」という罠にはまってはいけない。ネット上の媒体の数は分からないぐらい膨大。ネットの広告が伸びているというのと、ウェブで儲かるのとは違う。広告の単価が、テレビは億、新聞は千万だが、ネットは銭、厘の世界。毎日が連結で年間3000億円ぐらい収入があって、ネットはどうがんばっても20億を超えない。それではビジネスにならない。
新聞離れの原因は、読者が新聞を離れたのではなく、新聞が読者を離れた。理由は主に4つ。
1)市民のほうが、新聞より「人権」に敏感
2)報道の自由、公共性が脅かされている
3)中流意識という概念が消滅
4)若い層は新聞自体が権力、マスコミの権力批判が内輪争いにしか見えない
海外と比べて、日本の新聞が異様に売れているのは、戸別配達が答えではなく、専売制度が答え。
昔なら、仮に1000部を売ることが出来る販売店に200部余分に持ってもらって、洗剤、テレビ、自転車などのインセンティブで実売に結び付けていけば、新聞社も販売店もよかった。そんな幸福な時代は終わって、いまは単に押し紙となる。ただ、出版社なら返品されてきた在庫は出版社の責任になるが、新聞は販売店に売りっぱなしなので在庫という概念がない。
現状、都心部であれば放っておくと20%減ってしまう。1000部の販売店で部数を維持しようとすると毎月200人勧誘しなければならない。なので拡張団に頼む。ちなみに拡張団は、読売約4千人、朝日3千人、毎日千人、産経、日経、東京三社の合計約700人(新聞セールス近代化センターへの登録スタッフ数)。
アメリカの名門新聞ウォールストリート・ジャーナル(ダウ・ジョーンズ社)ですら、マードックからM&Aを仕掛けられて危機感を持っているのに、日本はまだ余裕がある。先日も新聞社に講演に行ったけれど、組合がボーナスの交渉をやっていて、世間から見たらかなりもらっているのにまだ不満だと言っていた。労使ともに危機感はない。
日本の新聞は高い。アメリカではもっと安かった。産経の夕刊廃止、値下げ、スヌーピーを使ったCMなど、いろいろな実験は評価している。中日と毎日の売り上げが同じころ。中日の幹部に言われたのは「毎日の経費が高すぎる」ということ。これは、専売店網があるから。夕刊は都会の生活習慣に合っていないからやめればいい。昔からやってるからという理由で続ける意味はない。そして経費を節約して、値下げすればいい。
また、新聞社の輪転機はほとんどまわってないのも問題。ちょっとでも遅く印刷してギリギリまで新しいニュースを入れようと言うひとがいるが意味はない。別に載ってなくてもいい。9・11のとき、ビルに飛行機が突っ込んだのを新聞で初めて知った人はどれくらいいるのか。テレビで見たり、人に聞いたりしている。新聞はもっと別のすばらしい役割がある。
Eペーパーでロングテールをいかせないかと考えている。お客さんに合わせて、運動面や経済面を増やすことができる。
最終的には、知への欲求に答える機能。編集して、わかりやすくコンパクトに伝えることが重要になる。
会場との質疑
Q、オーマイニュースについて。市民参加型のビジネスはどう思うか。
A、将来性あると思う。オ・ヨンホとは二度ほど意見交換したが、物別れに終わった。ロールモデルを日本に持ってきて無理だ。あれは政治運動だった。
Q、県紙、地方紙はどうすればいいか
A、北海道が全国紙しかなかったら面白くない。いろんなのあるから面白い。紙で見せて配るのは新聞社の勝手。情報を携帯で見るというのもある。内外で起きていることをいち早く知らせてくれて、エディットして、アナライズする。そこは新聞社は誰にも負けない。そこに特化してほしい。
日本の製造業はバブル崩壊以降必死になってリストラやってきた。新聞社は規制にあぐらをかいて、シカトをしてきたつけがまわってきた。他社がやっているからと記者クラブに固定配置をすれば自由に動ける人数が減るのは当たり前。あまり重要ではない記者会見は通信社にやらて、もっと深い取材に記者を当てればいい。
Q、新聞社がヤフーのようなポータルになれなかった理由。また、専門的な知識を持つブロガーもいるがそれに勝てるのか。
A、ポータルサイトはなれるチャンスはあったでしょうが社内で殺されたでしょう。いまだにニュースをサイトに載せると新聞が売れなくなると考えている人がいるぐらいなんだから。
情報を作り出している人と直接アクセスできるようになった。そうなると、なぜ介在者がいるの、という話になる。新聞記者無用論。アメリカはそこいらの議論をかなり始めている。
Q、記者から経営者になったときに変わる心構えはあるか。
A、別に、新聞記者だから経営しちゃいけないと言っているわけじゃない。ただ、人のあら捜し、欠点や失敗を見出すのが新聞記者。評論家体質が身についてしまうが、そのままではだめで勉強が必要。これからの時代は、50歳になってからは到底ダメで、若い人が必要。また、エディターと経営層を機能分化する、経営者を育てることも必要。
◆感想など◆
これまで多かった感情的(ジャーナリズムの危機とネット脅威論の二つ)だった新聞危機論に比べ、数字やビジネスモデルなどさまざまな観点から分析されていました。講演の後で、数人の参加者と共に立ち話をする機会がありましたが、記者出身(ワシントン支局も経験)ですが、毎日危機の時に販売担当に志願したことがあるそう。社長室で経営に携わっていたこともあり、販売や広告現場についてもかなり深く理解している様子。新聞社退社後にはコロンビア大の国際公共政策大学院でフェローとして短期間学んでいたのことです。
立ち話では、輪転機などの設備投資の無駄遣いについてや営業現場の問題、採用方法、記者教育などにも話が広がり、大変参考になりました。
『年間3000億円ぐらい収入があって、ネットはどうがんばっても20億を超えない。それではビジネスにならない』というのは、ハーバード・ビジネススクール教授クレイトン・クリステンセンの「イノベーションのジレンマ―技術革新が巨大企業を滅ぼすとき」に書かれているイノベーションのジレンマそのものだという印象を改めて受けました。実際、クリステンセンの「イノベーションへの解―利益ある成長に向けて」には、アメリカの新聞社のオンライン部門への対処の研究が紹介されていて、オンライン部門を独立採算のプロフィットセンターとしてスピンアウトさせたことが紹介されています。
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