ガ島通信

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mixi騒動で思う、幻想共和国mixiはやはり「外」である

このところネットを騒がせているミクシィの個人情報流出問題のニュースを見ながら、約1年前に書いたエントリー「mixiという幻想の共和国、そこは内ではなく外である」を思い出していました。冒頭部分を引用すると

「ブログはちょっと怖いからやっていないけど、ミクシィならやってますよ」という言葉を聞く事が多くなりました。「招待制」というシステムだからか、まだ、十分にマナーが確立していないインターネットという荒野の「内側」にいるような安心感があるのですが、冷静に考えれば「外」なわけです。招待制、インターフェイス、雰囲気…、いろいろなことが重なり「外」を忘れさせる装置となっているのでしょう。

なぜこのようなことを書くかと言えば、リテラシーという言葉を口に出すのも、あまりに無防備な利用方法がまかり通っていることに驚かされたからです。

となっています。
ミクシィの会員増加が増えるにともなって、「ミクシィに入ったんで、マイミクしてください」とか「最近日記を書いてないんです」とか、会話の中で話題になることも多くなってきました。今年の春ぐらいから、少々おせっかいとは思いながらミクシィに入ったばかりの友人には「日記の設定どうしている?」と聞くことにしていました。仮に、私とマイミク(約200人)したら、その時点で「相当数の知らない人が友達の友達」になる可能性があるわけです。出来る限り「友達のみ」の設定をオススメしていました。
ただ、今回の騒動は、ファイル交換ソフトによるウイルス感染による画像の流出がきっかけとはいえ、仮に日記の設定を友達のみにしていても、名前が分かってしまえば、コミュニティなどからトラブルが拡大することを示しています(被害者が属しているコミュニティに騒動を知らせた悪質なユーザーもいたという)。

実名での登録を推奨していたミクシィも、今回の騒動でついに「mixi ご利用上の注意事項」を変更。『Q.名前の欄には本名を載せてよいでしょうか?』に対して、『A. 本名で登録すれば、お知り合いがあなたを発見しやすくなり身近な交流が広がります。反面、全く知らない人にも本名がわかってしまう可能性があります。』と注意を促す内容となりました(と言っても、特に注意を呼びかけているような印象はない消極的なものですが…)。

ミクシィの居心地のよさは特筆するべきものですし、今回の騒動でSNS=危険と決め付けるのも極端とは思いますが、「外」であることを意識して、登録名の管理(登録名をHNやニックネームにするというのは、電話帳に名前を載せないみたいな感じでしょうか?)や日記の内容に一層気を配る必要がありそうです。なにせ登録者が500万人以上もいるわけですから…

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