ガ島通信

メディアとジャーナリズムの未来を追いかける

メディアリテラシーで扱う「メディア」とは何か

学習院大学法学部政治学科の講義「メディアリテラシー 情報を読み解く力をつける-」。メディアリテラシーは「メディアを主体的に読み解く能力」や「メディアを活用する能力」などがありますが、いずれにせよ「批判的(文句を言うというのではなく判断や態度を保留して考えてみる)」にというのが大切だと考えています。批判的にといいながら忘れられがちなのが、メディアリテラシーで扱う「メディア」そのものへの視点ではないでしょうか。
マスメディア(新聞やテレビ)や映画、広告のコンテンツ、もしくは発信の場合はパソコンやネットの使い方を扱います。さすがに最近では少ないと思いますが新聞各社の論調を比べて新聞もだけをやっていたりすることもあるようですが…。そこで講義ではまずメディアについて考えることから初めてみました。
学生には、身近な情報とメディアについて考えてもらいます。そして、自身が情報を得ているメディア、発信しているメディアについて、書き出してもらいました。情報受信では、マス四媒体では、テレビが多く、新聞、雑誌となりラジオは数名でした。ネットはtwittermixi、Yahoo!、YouTubeなど細かく種類が出ました。携帯、電話、メール、そして会話(友達、先輩、両親、先生、バイト先の人、お客さん)、紙(教科書、シラバス、フリーペーパー、チラシ)です。
情報源に比べると情報発信は種類が少なく。会話、ネット(ブログ、twittermixi)、メール、レポート、歌や楽器演奏があり、ユニークなものとして、独り言、ブレーキランプやウィンカー、クラクション、存在というのもありました。
去年も同じ質問をしたのですが、情報受信で増えたのは、メニュー(ファミレス、外食チェーン)、地図、時計、街頭演説・選挙カー、信号。減ったのは、駅や電車関連(車内放送、駅の案内、中吊り)でした。これは事前のディスカッションで、今年はメニューについて、去年は駅の放送や駅名、車内モニターについて話したことが関係しているのでしょう。また、電気店では「メディア」コーナーにDVDやCD-R、SDカードが並べられており、記録媒体を示す事も紹介しました。メディアという言葉で思い浮かべることも人によって異なります。
講義後のフィードバックペーパーには、服装、目、めがね、夢、沈黙、点字ブロックは「メディアなのでしょうか?」という質問や「現実とは何か、メディアとは何か、分からなくなってきました」という意見、「眠りかけてノートに書いてしまった理解不能な線は落書きとは同じではなく、伝えたい意思がないため、メディアにはならない?」や「食べ物はメディアか?食べた時(後?)はメディアではなくなるのか?」というものもありました。
情報の文明学 (中公文庫)
この講義は正解を求めるのではなく、さまざまな角度から考えることを目的に挙げていますので、学生と一緒に考えて行きたいと思っています。
なお、講義の参考文献にしている梅棹忠夫さんの「情報の文明学中央公論新社)にはこんな記述があります。
『情報は人と人との関係とはかぎらない』『天体が情報をおくりだしているのではない。情報はその天体とともに存在するのである。その情報を情報としてうけとめ、それを解読するのは人間の側の問題である。よりいっそうふみこんでいえば、受信されることもなく解読されることもない情報はいくらでも存在する』*1や『情報はうけ手の意思や能力にかかわらず、外界にプリントされている。狩猟民は、森のなかで獣たちが地上にしるした足あとをみて、えものの動きを判断する。足跡が情報である』*2

*1:p75-76 情報産業論への補論

*2:p216 情報の文明学