「ダダ漏れ社会をどう生きる」学生のミニレポートから
学習院大学法学部政治学科での講義「メディアリテラシー −情報の受け手から発信者へ−」では、ときどき講義内でミニレポートを書いてもらうことにしています。当初は、講義内で発言してもらい、議論を進めようと考えていましたが、100人を超える聴講者があるためにミニレポートの割合を増やすことにしました。
今回は、インターネットの仕組みや歴史、リスクを説明、ウェブ中継が広がる中で「ダダ漏れ社会」をどう生きるかを、書いてもらいました。大まかに「歓迎」「現状肯定、あるいは開き直り」「気をつけて利用する」「不安、批判的」「無関係、あるいはネットから遮断」に分かれました。それぞれの中からピックアップした意見を紹介します。意見は一部修正してあります。
- Welcome to ダダ漏れ!
利用すれば非常に役に立つのではないか。例えば宣伝。アイドルになりたいと思っているとすると、有名になる必要があるだろう。そこで、ダダ漏れ効果を利用するのだ。面白い動画を載せるなど、何度もチャレンジしてみるのもいい。
- ダダ漏れ社会にビビる必要なし
自分が世間に中継されても恥ずかしくない行動をとっていればダダ漏れにビビる必要なんてないと思う。自分の知らないところで、日常生活を中継されるのは、誰でも気分を害するとは思うが、ダダ漏れに対して恐れてしまっている人は、何か後ろめたい行動でもしているのではないかと思う。胸を張って生きていれば、ダダ漏れ社会にビビる必要なんてまったくないと思う。
- ダダ漏れ社会だったらいい人ぶります
ダダ漏れ社会は否定的に言われているが、これはいい人ぶるまたとないチャンスだと思う。実際、電車などで席を譲っても、一部の人にしかいい人にしか見られないが、ダダ漏れ社会だったら視聴者全員という広範囲にわたっていい人に見られるというのがいい例だと思う。
- ダダ漏れ社会を受け入れて生きる
日常は中継されなくてもダダ漏れです。授業中うっかり寝てしまった時、「さっき寝てたでしょ?」と言われたりもします(しかも、どこで見てたんだろうって人に…)。常に編集できないダダ漏れ日常を生きているので、社会がダダ漏れになったとして、それを受け入れて生きる。
- オムツを履いて生きる
漏らしてはいけないものにフタをしていくべき。完全にフタをするのではなく、わざと漏らしていくのもよしとする。日常生活でうまく自分を出せない人は、ダダ漏れ社会を利用して、セルフプロデュース
- 「他者」を「自分」のファンとして位置付けする
街中を歩いていても、ダダ漏れされていても、そこにいるのは「自分」であるのは変わりない。ダダ漏れは「他者」という第三者の人数が増加する。なので、常に他者を自分のファンと見て、芸能人がファンを大切に扱うような態度で日常生活を生きる。
- 地味に生きれば漏れないさ!
友人に自分の写真・友達の写真をupする人がいる。うっかり撮られたものなら100%公開される。彼女の毒牙にかからないようにするには、なるべく地味に生きることだ。派手なパーティには参加しない、目立つ行動はしない。チャラい子とは絡まない。それでも、情報は流出する。それに対しては多少腹をくくるしかない。
- 主人公、エキストラとしての分別
諦めと住み分けが大切だと考えている。街中の通行人として撮影された「エキストラ」としての自分であれば、逃れることが可能だが、明らかに私であると示されるものに関しては、逃れることが不可能。エキストラは諦め、主人公としての行動、モノは慎重になるべき。
- ネット社会と断絶せよ
発信、受信、ネットと繋がっている限り、私たちは情報流出の危険を隣り合わせだ。まずSNSに登録しない。日常生活での友人を大切にしよう。メールも手紙にすれば良い。ニュースはテレビや新聞で読む。それが出来ないなら、セキュリティを万全にした上で、自分の個人情報に関することは伏せて利用すべきだ。日常生活では友人を精査して付き合わねばならない。
- 外の世界を敵だとみなす
どんな人でも外に一歩出たらダダ漏れ社会を生きていると感じます。日常生活を編集せずに中継できるのはメディアだけでなありません。私のような一般人も立派なダダ漏れリポーターです。ブログにささいな一言がオーバーに書かれたこともあります。ダダ漏れさせたい人はたくさんいるので、防ぐのは絶対不可能です。一歩外に出たら、誰かから見張られているという意識を持って生きていく。
- ダダ漏れ社会をどう生きるなんて、どうでもいい
人の記憶はあいまいで、何かショッキングなことが自分の身に起きても、ほとんどの事は時間が経てば忘れてしまう。ましてや、他人の事などなおさらである。例え、インターネットに何か晒されたとしても、自分が思っている以上にヒトのことなど気にしないのだから、特に深く考えず、適当に生きていけばいいと思う。
「歓迎」はあまり多くありませんでした。「現状肯定、あるいは開き直り」と「気をつけて利用する」がボリュームで、次に「不安、批判的」と続きます。「無関係、あるいはネットから遮断」は歓迎より少し多い程度でした。
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