ガ島通信

メディアとジャーナリズムの未来を追いかける

一言では語れない2011年 たくさんの出来事と仲間との出会いがありました

東日本大震災が起きた2011年。一言では語れないほどたくさんの出来事と仲間との出会いがありました。
震災直後にツイッターで呼びかけてボランティア情報のまとめサイトを作ったことをきっかけに、現在でもYahoo!などの国内主要ポータルにボランティア情報をデータベースから配信しています(Yahoo!では9月までに5000件を掲載していただきました)。まさか、ここまで長い活動になるとは思ってもいませんでした。

被災の深刻さが分かるにつれて、もっと本格的に活動するために学生ボランティアに参加してもらい、会社の許可を得てさとなおさんが主宰している助けあいジャパンの活動に合流。たすけあいジャパンのメンバーや関係省庁、企業の支援を得てボランティア情報ステーション(VIS)を立ち上げました。
横浜の神奈川災害ボランティアネットワークに協力をお願いし、さらに仙台に新聞社時代からの仲間を河北新報に尋ね、社会人や学生ボランティアが集まり、JR仙台駅構内にリアルな情報提供場所を作ることができました。
右の写真は3月22日の夜に赤坂で行われたさとなおさんや岡本さん、田中さん、省庁関係者との会合
VISの仕組みは、ユーザーが利用する面を作らず、データベースのAPI提供をするという仕組みのため、分かりにくいところがありましたが、アジアの広告祭「Spikes Asia 2011」のメディア部門でブロンズを受賞することができました。「DBによってメディアを創ってもらうという手法が新しいと評価されたのです。
チームに参加してくれていたADK井上さんがエントリーをしてくれたのですが、賞に値すると考えてくれたことが何よりも嬉しいことでした。また、ライターの野々下さんが『インターネット白書2011』のp38-39に「ボランティアをしたい人と募集側を結びつけるデータベース作り」として、エンジニアtypeもインタビュー取材してくれました。

NTTレゾナントgooラボを担当してサービスプロデュースをしてきましたが、思ったほどユーザーが増えなかったり、途中で止まってしまったりするプロジェクトもあり、悔しい思いがありました。VISは常務の米川さんによる活動許可があり、レゾナントのエンジニア澤村さんや一緒にラボを運営していたNTTの玉井さんが参加してくれて大きな役割を果たしてくれました。そしてYahoo!災害チームや他ポータルとの連携で、会社の枠をこえて被災地の力になれるサービスを作れたことを誇りに思います。
活動はVISの一員だった北村君が仙台に居を移し、ボランティアインフォ(NPO申請中)へと発展させてくれました。夏休みにはもっとボランティアをプロジェクトを実施して、東京と仙台の学生が協力して被災地を回わる情報ボランティア活動に取り組んでくれました。

ボランティアインフォになるまでの活動の様子はITmediaに連載していたので、記事一覧ページを見ていただきたいのですが、実は震災後からゴールデンウィークまでの記憶はあまりありません。
このエントリーを書くためにチェックしていた写真が右のもの。川島さんと赤倉さんが学生のみんなにデータベースを説明しているところ。学生もこのあと何人かがリーダーとなり成長していきました。
森ビルさんに協力頂いた活動拠点で机もいすもなくフロアに座ってのミーティング風景を見ても何年も前のような気がしています。節電で薄暗いなか手探りで、怒濤のような日々を過ごしていたのは間違いないのですが…
そんな時期によくITmediaの連載を書いていたなと思うのですが、「記録しておかなければ、どこかに消えてしまうのではないか」という気持ちはぼんやりとありました。正直3月末から4月中のことはあまり覚えておらず、連載を段取りしてくれたのは1月に有志で発足させた日本ジャーナリスト教育センター(JCEJ)の講師としてお世話になった元ITmediaの藤村さんでした。
JCEJはソーシャルメディア時代のジャーナリストのあり方として、「Entrepreneurial Journalist」という考えを打ち出し、一人ひとりがメディアの担い手として、問題意識を持ち、組織や立場、年齢を越えて共に学ぶ場にしようとつくったものです。取材や企画、ライティングだけでなく、これまでのジャーナリズムが扱わなかった技術や広告、ビジネスも積極的にテーマとしています。2月に発足記念の3連続講座を行い、藤村さんにメディア経営の講師で出てもらったのでした。

8月にはJCEJとして島根県で、ジャーナリストキャンプ飯南2011を開催することが出来ました。地元紙や町の担当者、JBpressの協力を得て、地方からの情報発信の可能性について取り組みました。地方新聞出身の自分にとって地方の特別な意味があるイベントでした。
東日本大震災でもメディアの東京視点は強くありました。これまでは、紙や電波という物理的なボトルネックがあり、地方発のニュースは通信社や全国紙、キー局を通さなければ広く伝播しないという側面がありましたが、ソーシャルメディアの登場によって直接届けることが出来るようになりました。
積極的な自治体や企業は独自に発信を強化している中で、地方紙はこのままでいのだろうか。東京のニュースを地方に届けているだけでいいのか。そして記者として腕前がネットで通じるのか、という問題意識がありました。
キャンプは深夜まで取材や企画の議論が続き、参加者の満足度も高いものになりました。関心のある方は朝日新聞ジャーナリスト学校が発行するJournalismをご覧ください。

ただ、キャンプを通じてもう少し深刻な記者教育の状況も分かってきました。新人に手間をかける時間の減少。OJTや地域や取材相手に育ててもらう他力本願な仕組みが古びています。採用も減り、若手が少なく疲弊する現場で、若手記者の「書くのが苦痛です」「好きなことを書けと言われるけど、何を書いたらいいのか分からない」という言葉が胸に刺さっています。
確かに伝える、書くことは辛いときもあるし、苦しいときもあるけれど、とても魅力的でやりがいのあることだと思います。書くことが好きだし、ジャーナリストに憧れて記者になったのに苦痛と言った若手の顔を見ながら、自分が徳島新聞の若者向け紙面改革に取り組んだときに部長と記事や写真について、あれこれ夜がふけるまで話したのを思い出しました。次は自分がその役割をどこかでやらなければいけないのだと…
発信力の鍛え方 (PHPビジネス新書)
ゴールデンウィーク前には活動の合間には昨年から書いていたPHPビジネス新書での本の原稿にも取りかかりました。9月に無事に「発信力の鍛え方 -ソーシャルメディア活用術」というタイトルで出版されました。
この本は、若手のビジネスパーソンや就職活動を控えた大学生向けに、人とつながるために、自分を成長させるために、ソーシャルメディアを使って行くための教科書的な位置付けとなっています。
前書きに「ワクワクするソーシャルメディア体験に恵まれるお手伝いができれば」と書いたのですが、伝え、表現することは、人生を広げ、豊かにします。本を読んだ方がブログに感想を書いてくれました。

ツイッターで「簡単だった」という感想をもらうこともあるのですが、その場合は終章を実践してもらえると嬉しいです。スモールグループ運営やイベント主催は学ぶことが多くあります。
また、いくつかの大学ではテキストとして使って頂いているとのこと。誰もが情報発信できる時代のメディアリテラシーやスキル、倫理については引き続き大きなテーマとして取り組みますので、講義やワークショップなどは出来る限り対応します。
他には、東日本大震災におけるマスメディアとソーシャルメディア連携についての研究もスタートさせました。かわいい検索のローンチ、WOMJガイドライン冊子づくり、京都大学デザインスクールでのワークショップ、Infinity Ventures Summit(IVS)への参加、大学での講義や学会、講演もたくさんありました。その中でお世話になり、出会った皆さん一人ひとりの名前を挙げてお礼を言いたいのですがご容赦ください。
2012年ですが、「発信力の鍛え方」をきっかけにした母校広島大学での講演やいくつかの原稿の締め切りがさっそく控えています。復興支援のための新しいサービスの開発、マスメディアとソーシャルメディア連携の研究中間まとめ、JCEJの大きなイベントであるエデュケーションフォーラムも3月に予定しています。新年度ぐらいをめどに広げている部分を少し整理しつつ、やるべきことに集中しようと考えています。
【過去の振り返りエントリー】