ガ島通信

メディアとジャーナリズムの未来を追いかける

クリエイターの所得機会を損失させているのは誰か

慶応大学デジタルメディア・コンテンツ統合研究機構准教授でエイベックス取締役の岸博幸氏の日経IT-PLUSのコラム『著作権法改正巡る2つの対立・「思いやり」欠如が招く相互不信』が話題になっています。
詳しくはコラムを読んでいただきたいのですが、私の理解が正しければ趣旨はネットの違法コピーやダウンロードによってクリエイターの所得が減ることで、コンテンツ業界全体が競争力を失うという話であると思います。

これは非常に重要な指摘ですが、下記のコメントなどを見ていると?が頭に浮かびます

プロとアマチュアのコンテンツは分けて考えるべきである。放送局やレコード会社などを含むプロのクリエーターは、作品から収入を得ているのであり、その収入が激減するのを放置したらどうなるだろうか。ネット上でのプロのコンテンツの流通が増えるどころか、プロの道を志す人が減り、日本の文化の水準が下がる危険性もあるのではないか。

そもそも、放送局やレコード会社はクリエイターではなく、クリエイターの周りに群がって収益を上げている人たちであり、仕組みなのです。
岸氏のコラムは、クリエイターと仕組みを(わざと?)混ぜて議論をしているのでややこしいのですが、池田信夫氏がネットはクリエイターの敵かで「レコード会社のロビイスト」と紹介しているような視点で読めば理解は早いと思います。要するに、放送局やレコード会社の利権や産業振興と言う点では岸氏の指摘通りでしょう。

しかし、雑種路線でいこうは「絶望の果てに」で下記のように指摘しています

そもそもプロのクリエータの収入は激減しているのだろうか。仮にそうだとして、本当にダウンロードが原因なのだろうか。直接間接的に権利者や創作者に対して支払われている報酬はGDP比でみて激減してはおらず、進んでいるのは中間業者による搾取であり、参入障壁の低下による市況品化であり、世界のフラット化による二極化ではないか。

テレビ業界、雑誌などのライター業界でも、中間業者であるテレビ局や雑誌社の社員とフリーの所得は桁が異なっています。コンテンツを作っているクリエイターは誰なのか、取材して記事を書くフリーライターなのか、組織に属する編集者やプロデューサーなのか。アニメや音楽業界のことは詳しくは知りませんが、同じような構造があると聞いています。

重要なことは岸氏が言うプロとアマという立場、つまり流通を押えている組織に属しているか、いないかではなく、作り出したコンテンツの質によって対価が支払われるべき仕組みをどのように作っていくかなのです。
私は以前は新聞社で記者をしていましたが、書くコンテンツの質がフリーランスで活躍するライターと比べて圧倒的に高いとは到底言えません。しかし給料は圧倒的に異なるのです。このアンバランスを解消しなければ、クリエイターになりたいと、まともに思う人などいないでしょう。

良いコンテンツを作る人が収入を得る仕組みがなければ、日本のコンテンツ産業の国際競争力が維持できるわけがないのです。インセンティブは、良いコンテンツを作るより、テレビ局やレコード会社といった組織に入り、そこで上手く立ち回ることに働きます。本当にコンテンツ産業の未来を考えるのであれば、産業構造そのものにもメスを入れていく必要があるのです。
個人的にはJリーグのような入れ替え戦が可能であれば、地上波が低俗なまま、CGMのコンテンツが荒削りなまま、という不幸を変えることが出来るかもしれません。それは雇用の流動化なのか、利益の配分なのか、どのような手法で実現できるかはわかりませんが…

岸氏は

かつてハリウッドの高名な人が「コンテンツが王様で、流通は女王である」という名言を吐いたが、デジタル時代は「プロのコンテンツが王様」なのである。その王様を突き上げていれば改革が成就するなどと考えるべきではない。

と書いていますが、改革を求めてクリエイターが突き上げているのは、コンテンツという王様ではなく、流通という女王なのです。

追記 のまネコ問題について書いている部分を削除しました。なんとなく書きながら蛇足だなと思っていたのですが、寝る前に一気に書くといけません。

はてブで「クリエイターの意見を余り見ない気がする」という指摘がありましたが、食べていくためには流通を握る側に何とかしてもらう必要があります(要するに良いコンテンツではなく流通に気に入られるという点が重要になる)。クリエイターも現状のシステムの中に組み込まれてしまっている上、ネットでは今のところ食べられない。クリエイターの自由競争を促進してコンテンツの質が向上すると、現状なんとかなっているクリエイターも厳しくなる可能性があり、流通側とクリエイターともに現状を変えるインセンティブが働かないのでしょう。