イベントの案内とマスメディア=ジャーナリズム論について少し
12月3日18時30分から毎日新聞社地下・毎日ホールで開かれる「第21回毎日新聞社編集綱領制定記念のつどい」にパネリストとして出席します。主催は、毎日新聞労働組合と市民団体「ジャーナリズムを語る会」。一般の方でも参加できる(先着200人)とのことですので、関心がある方は同労組にお問い合わせください。
イベントのテーマは「ネット社会の情報と言論〜新聞ジャーナリズムの将来」。パネリストは、ジャーナリストの佐々木俊尚さん、東大大学院情報学環の林香里准教授、コーディネーターは上智大学の橋場義之教授です。
- 毎日新聞労組:12月3日、編集綱領制定記念のつどい(毎日新聞の記事)
林さんは「マスメディアの周縁、ジャーナリズムの核心」というジャーナリズムの世界ではよく知られた本を書かれている方で、一度お会いしてみたいと思っていたので楽しみです。
イベントを前に、頭を整理する意味でマスメディア=ジャーナリズム論について個人的な考えを少し。
いろいろなところで何度も述べていますが、ネットとウェブサービス(特にブログ)の普及によって、マスメディアに属さない人でも、誰でも簡単に情報発信ができるようになったことは大きなインパクトと言えるでしょう。
これにより、情報発信という意味でメディアの希少性は失われ、もはやマスメディア=ジャーナリズムは切り離されつつあります。
ジャーナリズムは鶴見俊輔が指摘しているような「人々の日々の記録」にあるとの考えのほうがしっくりきますし、媒体の種類、影響力の大小と、ジャーナリズムはそろそろ分けて議論したほうがよいと考えています。
マスメディアとジャーナリズムの関係は議論がかみ合わないことが多いので(ジャーナリズムという言葉は非常に誤解を招きやすい)、ウェブとマスメディアの関係を先日のクリエーター論と絡めて考えてみると、議論すべき点も少し見えてくるように思えます。
先日のクリエイター論は、岸博幸慶応大学DMC機構准教授の「ネットの影響でプロクリエイターの収入が減っている」との指摘が発端でしたが(著作権法改正巡る2つの対立・「思いやり」欠如が招く相互不信、日経IT-PLUSを参照)、読み進めれば岸氏がクリエイターとの言葉を使っている人たちはレコード会社や放送局といった中間業者=流通だということが分かります。
先日のエントリー
クリエイターの所得機会を損失させているのは誰かで
私は以前は新聞社で記者をしていましたが、書くコンテンツの質がフリーランスで活躍するライターと比べて圧倒的に高いとは到底言えません。しかし給料は圧倒的に異なるのです。このアンバランスを解消しなければ、クリエイターになりたいと、まともに思う人などいないでしょう。
と書きましたが、新聞業界も同じ問題を内包しているのです。
ただし、新聞はテレビなどと比べてコンテンツを自前で作り出す力が強く、「プロ」としての質・強度を維持することができれば経営という点(社内にコンテンツを作るクリエイターと中間業者としてぶら下がっている人が同列に存在しているため、そこは調整する必要がある)でも、ジャーナリズムという点でも、そんなに心配することはないかもしれません。
しかし、最近の取材記事のレベルを見ていると「プロ」を入れ替え可能にして、コンテンツの強度を維持できるように活性化する必要があるのではないかと思わずにはいられません。中間業者=流通のボトルネックを押さえている組織に入った人と、そうではない人によって「プロ」という立場が分かれている構造は、力を持ったクリエイターにとって不幸ですし、なによりユーザーにとってデメリットが大きすぎます。
とはいえ、このような議論を進めていくと「記者とそうでない社員に給与で差をつけるのか」とか「社員をリストラするの?」という話になりかねず、労働組合が主催する会合でどこまで突っ込んでディスカッションできるのかよく分かりませんが…
追記 ネットのおかげで、多くのクリエイター(映像にせよ、テキストにせよ、音楽にせよ)が生まれることは、基本的にコンテンツの質の向上に良い影響を与えるはずです。
スポーツに例えると子供たちに人気が出たり、地域のスポーツクラブが盛んになったりして競技人口が増えるとそのスポーツも活性化して日本代表も強くなる、という構図です。逆に言えば裾野を広げれば頂点の山は高くなるため、サッカーや野球は子供たちへの教室やPR活動を行っているのでしょう(もちろん「教育」も必要でしょう。技術向上のプログラムがなければ質は上がらない)。
しかし、裾野を広げても流動性がなければ意味がありません。選手のレベルがどうであれ、J1クラブに入ればずっとJ1で、地域クラブでもそのまま、というのでは強くならないでしょうし、チームが勝てなくなるのは当たり前でしょう。
マスメディアの場合は、人の入れ替えも、チームの入れ替えも存在しないスポーツだと考えると良いのかもしれません。