ガ島通信

メディアとジャーナリズムの未来を追いかける

マスコミは国民の鏡

ライブドア関連で気になったエントリーから

404BlogNotFoundの「国民の罠

最後に一つ。特捜神話は特捜部が作ったものではなく、我々が作ったのだという自覚は有権者であれば持つべきであろう。特捜神話を我々が持つ限り、特捜部は世論を気にし続けざるを得ず、そしてそれが本来の特捜部の役割を損なうという認識は持った方がよい。

特捜部もまた公僕である以上、彼らに選択の余地はあるようでない。選択の余地を持っているのは、実は我々なのだ。

雑観練習帳「ライブドア捜索を闇に消してよいのか

「確たる真実でないもの、誤りを含む可能性があるもの」だから、現場記者の取材努力(や、彼らが事実関係で危ない橋を渡るリスク)を無視して、「風説」と結論づけ断じるのはたやすいが、「読者が知りたいことを(まさに顧客の商業的ニーズに応じて)知らせること」こそが、ライブドア的なものを支持する人々が求めていた「あるべきメディア像」ではなかったのだろうか?
 まさに今回の報道にはものすごい「顧客のニーズ」があった。今回のライブドアにだけ、「無謬性」や「社会の良心」をメディアに求めるとするなら、それはある種のご都合主義ではないか、と思うのだが…

(DAN氏は、やや権力と言うものを楽観視しすぎて入ると思いますが)私も含めて、それぞれアプローチは違いますが、結局は国民・有権者・視聴者(氏家発言や北海道新聞もそうだ)の責任ということなのではないでしょうか。マスコミ報道は国民のリテラシーレベルの裏返しでしかありません。