ガ島通信

メディアとジャーナリズムの未来を追いかける

「フューチャリスト宣言」梅田望夫・茂木健一郎

フューチャリスト宣言 (ちくま新書)
フューチャリスト宣言」というタイトル通り、梅田望夫氏が脳科学者茂木健一郎氏とウェブの可能性と未来について対談した本。筑摩書房さんから送っていただきました。ありがとうございます。

四つ目のりんごをジャケットの下に着込み(仕込み)、「そうか、僕と梅田さんはフューチャリスト同盟だ」(笑)と屈託なく語る茂木氏の明るさと適当さがあることで、シリコンバレーの前向きさやオプティミズムを語りながらも、どことなく「重い」梅田氏の未来への言葉がフォローされています。梅田×茂木という組み合わせは、どちらも重い「ウェブ人間論」よりも良い感じがします。
グーグルのすごさやネットにおける変化、日本の組織やエスタブリッシュメントを批判する梅田氏の主張は「ウェブ進化論」で語られているものと大きな違いはありません。ただ、茂木氏の投げかけは、私にとって気になる視点が数多く含まれていました。

例えば、第2章にある「コンテンツ側は消費されていくのではないか」で、茂木氏は『読み手と送り手の間の感覚のズレがあるのではないでしょうか。書く側はいろいろな想いを託して書くわけでしょう。ところが読む側、コミュニティ側は単なるひとつのエントリーとして消費してしまう。なのに、それが自己実現だと思っている人がいると思うんです』と本質的な問いをしています。それに対して、梅田氏は『いっぱいいいことを書くとグーグルが賢くなる。グーグルは賢くなるほど儲かる』と答えます。グーグル賛美に議論を持っていくのはどうにもワンパターン。

梅田氏が語る、ウェブのすごさや新しい組織と個人のあり方などは共感するところが多いのですが、ネットとリアルを別のもののように分けてしまうことやフェイス・トゥー・フェイスの価値について従来ほど重要としない考えには、あまり賛同できません。

『ネットはセレンディピティ(偶然の出会い)を促進するエンジン』(茂木氏)だからこそ、思わぬ出会いや気付きがある。いつも言っていることですが、(プログラムで記事を書くスパムブログなどを除けば)ブログを書いているのもリアルな人間です。書くということは、多くの場合その人の生活や仕事、考えがにじみ出てきます。だから、ブログは面白い。そして、その偶然性で出会った人や仲間がいるからこそ、未来が信じられるのです。

ところで、すでに小飼さんが突っ込みを入れていますが、この本には下記のような注意書きが添えられていました。

なお、大変勝手ながら、書店に並ぶのが5月8日(火)頃からになります。ブログなどのメディアでお取り上げくださる場合は、5月8日以降にお願い致します。

記者クラブの「縛り」のようで、読んだときに少しだけ嫌な感じがしたのも事実。配達指定日郵便などで、ちょうどいいタイミングで届くようにするなど方法はあったはずなので、もう少し工夫してもらいたいものですが、違和感よりも、ネットの未来や可能性を話した本にもかかわらず、書店での展開を考えると書評の日時を指定しなければならない状況があることが逆説的で、面白いものがありました。世の中は、まだまだネットの「あちら側」と「こちら側」に完全に分けられるほど簡単ではない、と言うことでしょうか。