北海道新聞、道警と手打ちか?問われるジャーナリズム
北海道警の裏金問題を暴き、新聞協会賞を受賞していた北海道新聞社がどうやら道警と手打ちした模様です。北海道新聞のHPにお詫び記事が掲載されていましたので、引用しておきます。まずはこちらをご覧ください(長いのでお詫び記事を別エントリーにしました)。
この記事を読んで、まず一番に疑問に思うのは、公判において稲葉警部が『泳がせ捜査があった』と上申書を提出している点、元北海道警釧路方面本部長の原田宏二氏がこの問題に言及している(詳しくは「警察内部告発者・ホイッスルブロワー」をご覧ください)にもかかわらず、道警が主張する『事実無根である』との見解を受け入れ(受け入れたように見せかけ)、なぜお詫びを載せなければならないのかです。『泳がせ捜査がなかったという確証も得られませんでした』ともあります。よく記事を読み込んだ読者は首をひねるでしょう
通称稲葉事件(「北海道警察の冷たい夏 (講談社文庫)」も参考になります)は、道警の闇とも言われている謎の多い事件です。事件の真相を知っていると思われる関係者が次々と自殺者し、道警警察官(女性)が暴力団関係者の車に乗っていて交通事故を起こすなど、道警と暴力団関係者の日常的な癒着が疑われる事が相次ぎました。いくつかの問題点があっても(これは注意すべきだったと思う)、疑いを報じるだけでも意味があったと考えています。新蔵博雅編集局長は『読者の皆様の信頼に応えていきます』とコメントしていますが、本当に読者の信頼は失われたのでしょうか。私には、これは道警の信頼に応えていきますという宣言にしか見えません。
つまりこれは、道新と道警の手打ち宣言です。そうでなければ、この理論が破綻した意味不明のお詫び記事の説明がつきません。
北海道の業界紙などには既に掲載されていることですが、道新内部では不祥事が続いています。室蘭支社の営業担当者が売上金を着服して逮捕されたのに続いて、東京支社でも同じようなことが起きていました。室蘭の場合は担当者を刑事告訴しましたが、なぜか東京の場合は依願退職(退職金を支払った)となりました。この弱みを道警に握られた上で、道警から「お詫び」が出た記事に関して捜査や訴訟をする(どう考えても訴訟とか無理だと思うし、やったらやぶへびですから、単なる脅しでしょう)などと詰め寄られていたようです。
既に道新では、昨春の人事異動で、私と一緒に「ブログ・ジャーナリズム―300万人のメディア」を出した高田昌幸さんを東京国際部に(さらにロンドンへ異動予定)、同時に、警察担当記者を東京社会部、テレビ局に出向させ、道警裏金チームを事実上解散していました。地ならしをした上で、道警との関係修復に乗り出していたわけで、今回のお詫び記事はその関係修復を道警にお知らせする「宣言」なのでしょう。今後、よほど社内事情が変わらない限り道新から道警の不祥事を追求するような記事は出ないと考えてよいでしょう。そして、このような意味不明なお詫びを載せたことは、(その内幕が分かるにつれ)逆に読者の信頼を著しく低下させることでしょう。
確かに道新の広告部門の体質には問題があります。道新内部に道警と同じような裏金構造があったということです。しかし捜査を受け入れ、膿を出せば筋肉質な組織に生まれ変わる可能性がありましたが、道新は自らそれを捨てました。これは広告だけでなく、記者、事業などあらゆる部門に責任があります(特に記者は「広告は関係ない」といいがちだ)。外から見れば同じ北海道新聞。自らを正せない報道機関に他社を批判する資格はありません。
まず北海道新聞は新聞協会賞を返上すべきです。そして、道新の内部で意見があり、声があるなら外に伝えてほしい(この声が外に伝わるというのがなかなかない。案外内輪では組合とかが主張してたりするのですが、読者に伝わらなければ意味がないです)。また、新聞労連、ブログを書いている新聞業界内部の人、高田さんのたたえて持ち上げていた(私の嫌いな)ジャーナリズム原理主義者の方々は、今こそ真価が問われるのではないでしょうか。私はこの意味不明のお詫び記事の裏側で起きていることを、少しだけ説明するエントリーを書くことぐらいしかできませんが、普段から声高にジャーナリズムを叫んでいる方々は、具体的な行動を起こすことでしょう。これは道新だけでなく、新聞業界全体の信頼に関わる危機なのですから… 期待しています。