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ガ島通信

メディアとジャーナリズムの未来を追いかける

なぜ電通の社長は「これまで」新聞局出身だったのか

電通は10日、4月に石井直専務執行役員が社長に昇格するという役員人事を発表しました。新聞各社は戦後初めて新聞局以外から社長に就任することを記事に盛り込んでいます。
「国内営業畑出身で、執行役員就任後は海外事業も担当した。新聞広告を扱う新聞部門以外の出身者が社長になるのは戦後初めて」(読売新聞)。これは電通の歴史を振り返ると、ある意味で画期的なことです。
どのような企業にもその企業が続けてきた事業やステークホルダーとの関係にいて「トップルート」が存在しています。伝統のある企業ならなおさらでしょう。工場経験者とか、営業とか、購買部出身とか、労務畑など。トップに上り詰めるにあたりある部門を通過しているとすれば、その部門は企業にとって重要だということを示します。
電通でテレビは新聞の5倍以上稼いでいます(テレビ5000億円、新聞は900億円に届かず、第3四半期連結)、日本の広告費全体を見てもテレビは1兆7千億円なのに、新聞は6700億円です。
にもかかわらず、なぜこれまで電通では新聞局出身者がトップになっていたのでしょうか。
電通のホームページにある「電通110年物語(PDF)」は、創業者・光永星郎は、日清戦争の従軍記者であった。その経験が「素早く不偏不党の報道」を志すこととなる。夢の実現のためには、まず通信社の経営基盤を強固にしなければならない。そこで、まず広告業を立ち上げ、広告とニュースを新聞社へ提供することにした。と書かれています。電通とは報道を志して立ち上がった会社だったというわけです。
このとき設立された「日本広告」はニュース通信社「日本電報通信社」と合併したものの、1936年国策によりニュース通信部門を同盟通信社に譲渡し、広告代理店専業となったのです。110年物語には「国策とはいえ、電通にとっては「忍びない」通信との決別であった。」と書かれています。「新聞協会の設立に尽力した」とも「国際報道の敏腕記者が社長に就任(ボーン上田賞の人。これは知らなかった)」とも書かれています。ちなみに社則「鬼十則」を作った吉田秀雄は上田が公職追放を受けて社長に就任しています。
過去の経緯から電通の大株主に共同通信社(7.37% 2位)時事通信社(7.10% 3位)がいて、共同と時事の社長は社外取締役も務めています(電通のリリース・PDF参考)。広告費という市場でも、会社への収益でも大きく差があるにもかかわらず、社長になる人がテレビではなく新聞を担当する部門から出ていたというのは、いかに新聞(特に通信社を構成している地方紙)と不可分な関係にあったか分かると言うものです。
ただ、これまでの社長ルートではない人がトップになるのは、その企業が節目を迎えてることを意味します。
電通のような伝統もあり、利害関係も多い会社は、新しいトップの出身部門より、これまでの部門が外れた、ということのほうが大事であったりします。それは、日本の伝統ある企業の場合、OBも含めてステークホルダーの評判(あの人はちょっと的な)は重要な要素だからです。
ニュース・エージェンシー―同盟通信社の興亡 (中公新書)
新聞部門以外からトップを出せば、これまで付き合ってた新聞社から、どんな反応があるかは容易に予想できるところですが、それでも変えたのは 1)変化の必要に迫られた 2)新聞の力が弱まった 3)その両方、のうちどれかの可能性があります(単にその社長が適任であったという考えもありますが、有力部門を経験していないという理由でトップになれなかった人もいるわけで…)。
このニュース、日本のメディア、特に新聞の世界では結構な話題だと思います。なお、就職活動中の人は、希望する企業の歴史とトップの出身部門などを見るとどんな企業か分かります。東大ばかりのトップなら東大ではない人が出世できる可能性は低いと推測できますが、電通も変わる時代ですし、あまり気にしなくてもいいのかもしれませんね。
ちなみに電通と両通信社の関係を深く知りたい方には「ニュース・エージェンシー 同盟通信社の興亡」がおススメです。