劣化するマスメディアとジャーナリスト教育の可能性
毎日新聞の誤報問題にとどまらず、他社記事の無断引用、ウェブでの議論をそのまま記事にするなど、マスメディア報道の劣化が進んでいます。もちろん、依然としてマスメディアが持つ取材力、コンテンツ制作力は高いものがありますが、ネットで「見える化」することによって従来以上のクオリティが求められる一方、収益悪化によるコスト削減が迫っています。
この状況を「ネットのせい」と一言で片付ける思考停止のメディア関係者も多く、ネットには「マスメディアはダメ」と切って捨てる議論もありますが、どうすれば良くなるのか、ジャーナリスト教育による質向上の可能性も議論されてもよいのではないでしょうか(近代啓蒙主義的な記事フレーム、読者不在の他社との競争で現場が疲弊しているなど、いくつもの要因がありますが…)。
ジャーナリスト教育には二つの面があると考えています。ひとつはジャーナリストとはこうあるべきといった議論(職業倫理とでも言うのでしょうか)、もうひとつはライティングや取材といったスキルです。教育が先行している経営やマネジメントでも、経営者とはこうあるべき論やビジネス倫理とマーケティング思考・スキルの積み上げの両方が必要なのと同様です。
倫理とスキル、この二つがバランスよく組み合わされなければなりませが、ジャーナリスト教育に関しては従来はあるべき論に偏りがちでした。スキルの習得は現場でのOJT(オンザジョブトレーニング)に頼りがちで職人のように「背中を見て覚えろ」式の教育がいまでもまかり通っています。
門奈直樹京都産業大学教授は、立教大学の紀要「ジャーナリズム研究・教育のパースペクテイブ」においてジャーナリズム研究と教育に触れ(一部抜粋)
ジャーナリズム研究と教育は単に経験知に依拠した「お話」ではあってはならない。
「真のジャーナリズは……」などと言って、ジャーナリズムのあり方を問い、「そもそもジャーナリズムとは……」といった書き出しで始まる啓蒙主義的なジャーナリズム論とは結びつかない。
と書かれています。欧米では行き過ぎたスキル偏重が問題視されることもあるようですが、日本においては経験知ベースの教育が横行している上、人員や経費削減の影響で肝心のOJTも厳しい状況になっています。これは失われた10年で人材育成が立ち行かなくなっている業界と同じ構造です。
私が関わっている北海道大学科学技術コミュニケーター養成ユニット(CoSTEP)のライティング授業では、これらの問題を踏まえ、スキル教育を重視して展開しています。
書くプロセスを分解して、メソッド・フレームワークの開発に取り掛かっていて、そのひとつが渡辺保史さんがWIREDVISONの「モジュールライティングという発想」で紹介しているモジュールライティングです。
マーケティングの4PやSWOTのように、ジャーナリストとして必要なスキル・思考を底上げするためのフレームワークを作り出すことにチャレンジしています。まだまだ試行錯誤の連続ですが、授業を見学した方から「こういうやり方は見たことがない」「マスメディアの現場でもここまで議論を整理して書くことをやっていないのではないか」という意見を頂けるようになりつつあります。
ジャーナリズムの質向上のためには、高度なプロ教育と底辺拡大の二つのアプローチがあるでしょう(いつもサッカーに例えますが、代表強化だけでなくトレセン、サッカー教室とトップ強化と底辺拡大をやるようなもの。参考・入れ替え戦でジャーナリズムの質を高める)。
このブログや日経IT-PLUSのコラムで書いてきたように、いまやジャーナリストとは新聞やテレビなどマスメディアに所属する人だけではありません。誰もがメディアを持ち、情報発信できるようになっているからこそ教育(書くことはメディアリテラシー教育でもある)はさらに重要になってきます。
gooニュースとしてもCoSTEP受講生の記事配信を行っており、質の高いコンテンツの作成に貢献したいと考えています。大学や研究機関などで一緒に取り組んで頂けるところがあればお声かけください。