なぜ小学4年生を偽装した政治キャンペーンはダメなのか
衆議院議員選挙について、「どうして解散するんですか?」と小学4年生が問いかけるウェブサイトが、政治系のNPO団体代表の大学生による企画だったことが明らかになり、閉鎖に追い込まれました。批判の一方で、「なぜ問題なのか」「結果的に話題が広がったから良い」「ウソをウソと見抜けない利用者が問題」といった声もあります。しかしながら、立場を偽り情報を発信することは、社会的に大きな問題なのです。
なぜ、立場を偽った情報発信はダメなのでしょうか。それは、情報の信頼性が損なわれると情報受信のコストが膨大になるからです。人は、受け取る情報を「だいたい正しい」と思って行動しています。情報が間違えていたり、騙されたり、することも有りますが、あくまで例外でしょう。
もし、情報が不確かな社会が前提となれば、いちいち確認して行動していく必要があります。テレビで紹介するイベントはねつ造?新しい新幹線が開通するのがウソ?いや、その放送は、テレビ局を装った企業のウソ広告だった、ウソが広がり始めたらきりがありません。
マスメディアの偽装やねつ造が批判されているのは、普段接しているニュースが間違っていたら、どの情報が正しいか、分からなくなるからです。だから、マスメディアは厳しく批判されるのです。
ネット、特にソーシャルメディアでは、マスメディアも、そこに所属する記者も、個人の発信者もフラットに発信できます。 新聞は新聞社、テレビはテレビ局しか情報を発信することは出来ませんが、ネットは異なります。
「ネットは不確かな情報ばかりでしょう」と言うひとがいるかもしれませんが、ネットからのあらゆる情報を、一つ一つ疑って、確認していることはないでしょう。フェイスブックやツイッターで流れてくる情報は、友人や知人、自分がフォローした人によるものですから、それを間違ったものとして捉えるのは、人間関係にも影響を与えそうです。
今回の嘘によって、次に小学生が政治サイトを作っても、すぐには信用されないということも起こるでしょう。この大学生が所属していたNPOや大学も、「他にもやっているのではないか?」と思われてしまうかもしれません。「また誰かがやっているかも」どんどん疑いの目が広がっていきます。何重ものチェックが必要になってきます。
だからこそ、マスメディアであろうと、一般の人であろうと、大学生であろうと、偽装の情報発信は許されるものではないのです。
今回のケースが悪質だったのが、ネットユーザーの検証が進み、疑惑が広がった際に、一度否定したことです。指摘されてすぐに、事実を明らかにしていれば、多くの人たちが立場を偽った情報を受け取らなくてすんだかもしれません。
ネット上には様々な意見がありましたが、とても残念だったのは、ネット企業の方から「今回の件は些細なものに思える」との反応があったことです。ネット企業が自らの足場であるネット空間において、偽りの情報発信が「些細なこと」なのだとしたら、それはとても無責任に思えます。
ソーシャルメディア以前は、新聞やテレビは一部の人しか、多くの人に情報を発信することは出来ませんでした。大学生でも、高校生でも、自分の考えを世に問うことが出来るのです。せっかく手に入れた情報発信手段であるソーシャルメディアを自ら信頼できない「場」にしている。情報という日々接する飲み水に毒を入れる行為に等しいのです。
この件について「天才やスーパーと言われた学生が…」「大人は若者を応援すべき」といった議論と結びつける人もいますが、それについては清水亮さん、常見陽平さんが、書かれている記事を紹介しておきます。
- あまりに卑劣な「小学四年生なりすまし」事件に思う(プログラマー経営学)
- 人はなぜ慶應に「宇宙人」を期待してしまうのか 三田祭と青木大和問題で考えたこと(陽平ドットコム~試みの水平線~)
足利のおもしろいを紹介した冊子「足利のたからさがし」が出来ました
法政大学社会学部藤代ゼミでは、栃木県足利市の「おもしろい」を紹介した冊子「足利のたからさがし」を制作しました。ゼミ合宿の際に、地元のNPO「コムラボ」の皆さんと一緒に行ったワークショップの成果をまとめたものです。編集(見せ方)や紙質にもこだわりました。
ページをめくると…
足利の皆さんの思い出の場所が写真とエピソードで紹介されます。何の変哲もない場所が違った景色に見えてきます。
キンコーズで印刷した試作バージョン。表紙がのっぺりしてしまい満足できない、だから紙を変えようとなり、ゼミ生が見つけたのが「イニュニック」。店主と紙とメディアについて熱く語り合ってきたそうです。
夏合宿でコムラボの皆さんと足利の「おもしろい」を考えるゼミ生。地元の目と「よそ者、わか者」である学生の目がかけ合わさり、地域の物語がつむがれました。
ゼミ合宿2014「足利の宝探し」を行いました
2回目のゼミ合宿は栃木県足利市で行いました。テーマは「足利の宝探し」で、地元のNPOコムラボとのワークショップもあり、充実したものになりました。
法政大学に着任して1回目のゼミ合宿(参考:沖縄でゼミ合宿を行いました)の課題を踏まえて、日程を3泊4日に延長。記事を書くというお題から、ニュースの発見に重点を移したプログラムに変更しました。
初日は足利学校を訪問し、取材を行いました。細部を良く観察しておくように伝え、午後からたっぷり時間を取りましたが、飽き始めて楽しくおしゃべりをするゼミ生も…
夜の議論では、資料や写真を見ず、ノートに書かれた内容だけで足利学校を説明してもらいました。ノートが不十分で、あいまいな記憶を頼りに説明するゼミ生が続出。同じ場所を取材したはずが、ゼミ生によって言うことが違う事態に陥ります。細部を観察する難しさ、事実を切り取るとはどのようなものなのかを感じてくれたようでした。
2日目は足利市内をまわって「面白いエピソード」を見つける取材。2年生の発表を受けて、目を引くタイトルか、写真が適切か、もっと効果的な切り口はないか、3年生が質問します。3年生も工夫して質問していました。3日目も同じく取材。ゼミ生によっては朝7時まで議論をしていたようです。
最終日はコムラボとのワークショップ。ゼミ生2人に地元の人1人がチームとなって町を歩き、面白いエピソードを探します。
足利を新鮮な目でとらえるゼミ生と地元の方の知識が合わさり、とても興味深い地域の物語がつむがれました。地域社会と共に学ぶ大切さを改めて感じました。
合宿はワークショップあり、ゲストあり、差し入れあり、でした。コムラボの皆さん、取材に対応して頂いた足利の皆さん、白鴎大学の小笠原さん、ありがとうございました。
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ブログ10年。この先もジャーナリズムの未来を創り続けよう
9月4日でブログを始めて10年になりました。ここまで続くとは思ってもいませんでした。支えて頂いた読者の皆さん本当にありがとうございます。
徳島新聞の記者だったこともあり匿名でスタート、ブログはライブドアでした。新しいジャーナリズムへの挑戦と実践に踏み出すということで、当初は興奮と緊張の連続でした。
最初のエントリーにも書いてあるのですが、文化部で若者向け紙面のリニューアルを担当し「若者の新聞離れ(新聞の若者離れ)」を痛感していたところに、2003年に湯川さんと青木さんの共著「ネットは新聞を殺すのか-変貌するマスメディア」が発売され危機感が高まりました。
【文化部時代の写真】白いPCで担当紙面のホームページやブログを更新してました。
また、労働組合の青年女性部の役員をやっていたこともあり、04年1月には青木さんの講演やビデオジャーナリストの神保哲生さんと社会学者の宮台真司氏さんによる「ジャーナリズム構造問題」マル激トークを含んだ、新聞労連青年女性部・全国学習交流集会2004「本日廃刊…となる前に」を徳島新聞の会議室で開催(当時の告知サイトが残ってました)したのも、ブログ開設の後押しとなりました。
当時は新聞記者のブログは珍しかったこともあり、すぐに反応がありました。どこの誰かは分からない場合も多かったですが、ソーシャルメディアのつながる力を実感し、「これはジャーナリズムが大きく変わる」「誰もがジャーナリストになる時代がやってくる」と感じました。
10月には中越地震があり、災害時のジャーナリズムや地域メディアのあり方を大きく考えるきっかけになりました。「マスゴミ批判」を検証したり、被災報道についてルポをして地元紙の方に怒られたり。最初は職場である新聞社がどうなるのかという関心もありましたが、いつしかジャーナリズムの未来に興味が向くようになりました。そして、ブログがあれば書きたい事がいつでも書ける、ことは徳島新聞を退職する勇気を与えてくれました。
NTTレゾナントに転職し、東京に行ったことで、ブログを通して交流していた皆さんとリアルにつながることが出来ました。RTCカンファレンスをお手伝いしたり、仲間たちとOBIIを立ち上げて開発合宿をしたり、デジタルジャーナリズム研究会で議論もしました。ブログの経験やリアルの取り組みが、日本ジャーナリスト教育センター(JCEJ)や東日本大震災での活動につながりました。
今や現役の新聞記者もツイッターやフェイスブックで情報発信するようになり、状況は大きく変化しました。一方で、「火がついた人は外に出て行ってしまった」「優秀な人材が集まらない」との声も聞くようになりました。ここまで閉塞感が現場を覆うとは…これは予想外でした。
この夏は多くの仲間たちとメディアやジャーナリズムを語り合う機会に恵まれました。どことなく湿りがちな話をかき混ぜ、こんなに面白い時代、本気出して楽しもう、と話しました。愚痴っていても何も変わらない。半歩でも踏み出そう。
昨年から縁あって法政大学社会学部で、ジャーナリストを育てることになりました。先日急逝した同僚の船橋晴俊さんから春学期の懇親会から帰る際に電車内で頂いた言葉があります。
「凡庸な教師はただしゃべる。よい教師は説明する。すぐれた教師は自らやってみせる。偉大な教師は心に火をつける」(William Arthur Wardの格言)
偉大な教師になれるかは分かりませんが、メディアやジャーナリズムの世界で活動する仲間(これから活躍するゼミ生も含め)に火をつける役割だよと、船橋さんが言ってくれた気がします。
人の心に火をつける(なんとおこがましいと思うが)ためには自分が燃え尽きては意味がありません。辛いときや苦しいときには、ブログを通して心にエネルギーをもらいました。ブログを通して知り合った友人や仲間が何よりの財産です。一緒にジャーナリズムの未来を創っていきたいと思います。引き続きよろしくお願いします。
追伸:同じくブログ10年選手のローカルメディアの仲間によるエントリー。おめでとう。これからもよろしく!
藤代ゼミ夏休みの課題図書「考える力をつける4冊」
藤代ゼミでは2年生を対象に春と秋に集中的に本を読む「読書祭り」を行っています。春はメディアの変化や構造が理解できる書籍、秋はジャーナリズムです。
当初2回の予定でしたが、本を読む習慣が乏しくなった弊害は大きく(全く本を読まない大学生は4割を超えている*1)取材や文章を書くと表現力が乏しく、想像力が欠けています。また、結論を急ぎ「分からないこと」への耐性が非常に低いのも気になりました。そこで夏休みにも課題を出す事にしました。テーマは「読んでも良くわからない本」。答えが簡単に出ず、考える力をつけるのが目的です。
哲学の古典。デルフォイの神託「ソクラテスより賢いものはいない」に対して反論していく中で、自分が知者ではないことを知っている自分が賢いという結論に到達する(無知の知)。疑問に対して正面から問うソクラテスの姿勢(問答)はジャーナリストが持つべき姿勢と共通する。
「我思う、ゆえに我あり」。あらゆるものを疑った結果、疑っている自分自身の存在を否定できないと考えた。この疑う自分は、後の哲学にも大きな影響を与えて行くが、あらゆるものを疑うという姿勢はソクラテスの無知の知にも通じるものがある。
- 『死に至る病』(キュルケゴール)
「死に至る病とは絶望である」と「絶望とは罪である」の二部構成。近代の理性主義を批判した本として知られる。ドイツ哲学は難解だが論理的なのでじっくり挑めば分かるのだが、この本は芸術のような分かるような、分からない感覚がある。
ウェーバーは「プロ倫」など他に重要な書籍がたくさんあるが、この本はウェーバーが言葉をどのように定義するのかという思考プロセスが読み取れるのが良い。薄い 本で、表紙に「なだからかな日本語に移した本訳書は初学者にもすすめたい」と書いてあるが、読み込めば決して簡単ではないことが分かる。
ドイツ哲学が入らずキュルケゴールかよ!と突っ込みが入りそうですが天の邪鬼なもので… 課題は西洋哲学が中心になりましたが、図書を選ぶにあたりフェイスブックで募集したところ多くの提案がありました。複数票入ったものがあります。『日本の思想』(丸山真男)、『自由からの逃走』(フロム)、そして『世論』(リップマン)です。どでも良い本ですので、長い休みがある方は、手に取ってみてはいかがでしょうか。
大学の授業でも分かりやすさが評価になる時代ですが、提供側が分かりやすくすればするほど自ら考え、読み解く力が失われている気がします。グローバル化も重要かもしれませんが、分からない物事に挑み、教養や知性を磨いて行くことを忘れてはならないと思います。
*1:全国大学生活共同組合の第49回学生生活実態調査の概要報告
「Journalism7月号」のデータジャーナリズム特集は関係者必読の保存版です
『Journalism(ジャーナリズム)2014年7月号』(朝日新聞社ジャーナリスト学校)が、データジャーナリズム特集を行うということで、私も寄稿したのですが、さまざまな角度から考察が行われていて、保存版の出来映えです。
実際にデータジャーナリズムに取り組んでいる朝日新聞「チラシでたどる震災1000日」やハッカソンの取り組み、NHKスペシャル「震災ビッグデータ」という実践レポートだけでなく、マーケティング分野からトランスコスモス・アナリティクス副社長の萩原雅之さん、 データ分析の観点からデータセクション会長の橋本大也さん、ネット選挙に絡めたソーシャル分析で立命館大学特別招聘准教授の西田亮介さん、さらに、津山恵子さんや滝口範子さんの海外レポート、ネオローグ立薗理彦さんのサイト案内、オバマのソーシャル選挙分析で知られる埼玉大の平林紀子さんへの編集長インタビューと、これでもかとてんこ盛り。以下は目次で確認してください。
<目次>
- ビッグデータ時代だからこそメディアは「ライブ感覚」で勝負しよう:茂木健一郎(脳科学者、ソニーコンピュータサイエンス研究所シニアリサーチャー)
- 震災に関するビッグデータが忘却にあらがう未来への“石碑”に:三村忠史(NHK 報道局社会番組部チーフ・プロデューサー)
- 権力監視の役割を果たすためにも データジャーナリストの育成が重要:藤代裕之(ジャーナリスト、法政大学准教授)
- ジャーナリズムはマーケティングに学べ データ・アナリティクスが拓く新手法:萩原雅之(トランスコスモス・アナリティクス副社長)
- [編集長インタビュー] 何に使うか、目的意識がはっきりしなければビッグデータは意味がない。 オバマの選挙からそれが見えてくる:平林紀子(埼玉大学教養学部教授)
- デジタルの可能性を示した企画 「チラシでたどる震災1000日」:奥山晶二郎(朝日新聞デジタル編集部員)
- 「データジャーナリズム」が結ぶ 大学とメディアの協働関係:荒川 拓(東京大学大学院学際情報学府修士課程)・林 香里(東京大学大学院情報学環教授)
- 記事や物事の理解を深めるための 米国発のデータジャーナリズム:津山恵子(ジャーナリスト)
- 病院ごとの治療成績を可視化する データを活用し報道する方法を競う:浅井文和(朝日新聞編集委員)
- ネット選挙の解禁で、政治もジャーナリズムも 新たな対応力が求められている 西田亮介(立命館大学大学院先端総合学術研究科特別招聘准教授)
- ビッグデータ時代の「忘れられる権利」 プライバシー保護に日本なりの哲学を:宮下紘(中央大学総合政策学部准教授)
- 報道機関は社会課題の解決に向け、データを整備する事業に投資を:鈴木良介(野村総合研究所ICT・メディア産業コンサルティング部所属・主任コンサルタント)
- ソーシャルメディア分析の手法はデータジャーナリズムにも通じる橋本大也(データセクション株式会社取締役会長)
- データジャーナリズムを考えるときまずは手がかりになるサイト立薗理彦(有限会社ネオローグ CTO)
5年後、ウェブへの記者「大移動」は起きない。それは既存メディアの願望である
朝日新聞とマサチューセッツ工科大(MIT)メディアラボのシンポジウム「メディアが未来を変えるには~伝える技術、伝わる力~」に関連して、朝日新聞のウェブサイトに興味深いインタビュー記事が掲載されていました。タイトルは 「記者独立の時代、5年で来る」。
東洋経済オンラインの編集長で、『5年後、メディアは稼げるか』の著者でもある佐々木紀彦さんが、欧米のスター記者や編集者の伝統メディアからの独立や、新たなデジタルメディアの設立について、朝日新聞の古田大輔記者の質問に答えたものです。
シンポでもツイッター担当の津田大介さんが「朝日新聞のエース級記者に、新興メディアに移る意志があるのかを聞きたい」という質問が投げかけらました。
佐々木編集長は、日本でも旧メディアから新興メディアへの移動が5年も経たずに起きるとしています。しかしながら「大移動」は起きないでしょう。
「一流の待遇」は5年は続く
佐々木さんと古田記者のやり取りを確認します。待遇が変われば移動が起きるという指摘です。
佐々木:「オールドメディアの待遇、とくに一流と呼ばれるところの待遇がいいからでしょう。でも、じりじりと伝統的メディアにいるメリットと新しいメディアにいるメリットが均衡してきています。それが交差するとき、優秀な人が外に出る方がいいときがいつ来るのか。それが未来を見通す上で一番重要な問いです」
古田:その分水嶺(ぶんすいれい)はいつ来ると思いますか。
佐々木:「5年経たず来るでしょう。一流の人だけでなく、準一流な人も出るような雰囲気や合理性がでてきたとき、雪崩をうつんじゃないですかね」
年収ラボによると、大手新聞社の平均年収は朝日新聞社で1,252万円、日本経済新聞社で1,201万円、毎日新聞社で770万円、産業経済新聞社で712万円です。ちなみに、佐々木さんの所属する東洋経済は1,042万円で、年収ラボの出版業界別平均年収ランキング1位です。
一方、PCウェブのマスメディアとも言えるヤフーの平均年収は663万円。マスメディア出身者にそのままこの平均年収が当てはまる分けではないでしょうが、平均では倍近い開きがあります。ベンチャーの新興メディアだと経営陣以外はもう少し安いかもしれません。
毎日や産経であれば既に、移動しても良いレベルにあると考えることができますし、実際に毎日や産経出身でウェブメディアで活躍している方もいます。ですが、新聞崩壊、危機などと言われながら「一流の待遇」を持つ新聞社の業績や待遇はそれほど悪化していませんし、経営状態を見ても5年後に急降下することも考えにくい。これが「大移動」が起きない一つ目の理由です。
移動できる人材が少ない
「大移動」ではなく、ジワリと移動は進行しているという方が正確でしょう。
それを裏付けるデータとして、日本新聞協会がまとめている新聞・通信企業の従業員総数があります。1993年の6万7356人をピークに減少が続いていて、2013年は4万3704人となっています。そのうち記者は約2万人です。新聞社は20年前から社員が減り続けていて、衰退し続けていると言えます。
新規採用者数は10年前は1,177人ですが、754人となっています。正社員の雇用調整が難しい日本の伝統的な企業では、新規採用を抑制することで人件費を抑制するという選択が取られる事が多いわけですが、新聞業界も同様です。そのため、社員の年齢構成では「40から44歳」「45から49歳」の割合が多く、60歳代が4%台を超えています。
転職は年収、ポジション、適合柔軟性などの要因から年齢が上昇すると難しくなると言われています。
シニアの転職はどうでしょうか。シニアは単に記事が書けるだけでなく、企画立案や経営などの経験が求められるでしょう。@ITを立ち上げて、アイティメディアの会長も務め、現在スマートニュースの執行役員を務める藤村厚夫さん(60歳)のような人材は新聞業界には皆無に等しいでしょう。
移動できそうな若い記者はもはや新聞業界に少ないのです。これが「大移動」が起きない二つ目の理由です。
ウェブには多様な書き手が増えている
ITmediaやCNETといったネットメディアに加え、ソーシャルメディアの登場によって誰でも発信できるようになりました。さらに、この記事を書いているヤフー個人やBLOGOS、ハフィントンポスト、さらにスマートニュースなどが生まれ、多くの人に届くようになりました。
つい先日は、博報堂DYHD、ニュース編集・制作の新会社設立というニュースが流れました。新会社のNEWSY(ニュージー)顧問は中川淳一郎さんです。
経済系のニュース共有サービスNewsPicsk(ニューズピックス)は編集部を持つ方針を明らかにしていますが、運営するのは証券会社出身です。企業のオウンドメディア戦略が進むと、企業内から書き手が出てくるかもしれません。
既にウェブではライター、ブロガー、研究者、芸能人やスポーツ選手など、多くの書き手がいて、新興メディアが立ち上がっています(これまでの「ニュース」にニュース風、ニュース仕立ての記事が混じる事に議論があるでしょうが、それは別途どこかで書くとして…)。これが「大移動」が起きない三つ目の理由です。
移動できるかはマーケット次第
個人的な事を話せば、2005年に地方紙で最も待遇が良いとされる徳島新聞を退職しました。「アホじゃないか」とさんざん言われましたし、友人は「早まるな」とアドバイスしてくれました。
給与や退職金という待遇を捨てるのはリスクがありましたが、ウェブの世界で起きるメディアやジャーナリズムの世界を見たかったというのがありますし、当時は記者ブログが珍しく注目もされていましたので、今なら移動できる、10年後は難しくなる、と判断したというのもあります。
幸い前職のNTTレゾナントが採用してくれたことで、ヤフーのトピックスと同じようなニューストピックスの担当だけでなく、新サービスや新ビジネスの開発、研究所の方々と研究技術を世に出す仕事に携わる事ができました。
記事を書き、編集するだけでなく、仕様書も書き、プロジェクトマネージメントもし、時に営業もしました。不本意な時もありましたが、サービス開発の難しさや営業の苦労も知り、貴重な経験をさせてもらいました。これも、一歩早く飛び出したから出来た経験だと思います。
ハフィントンポスト日本版の編集長である松浦茂樹さんと人材採用について話をした際に「2005年ごろにオールドからウェブに出て来た人材は玉石混淆だったけど、最近は良い人材がいる」と話されていました。
時々、ウェブメディアや新興メディアの方から「人材を紹介してほしい」と言われることもありますが、今は記者としてそれなりに実力があり、ソーシャルメディアを使いこなし、さらに企画力とか経営マインドがないと移動できなくなって来ていると感じます。昔は単に既存メディアだというだけで珍しかったけど(私はそれで救われた)…
待遇が良い時は既存メディアにとどまり、待遇が悪くなってくると新興メディアに移動した い、それもタイミング良く、これはずいぶんと都合の良い主張です。大移動というのは既存メディア側の願望なのではないでしょうか。
どんなスキルが必要なの?
マーケットはどんどん変化しますが、何の準備もしないというのは無策すぎます。「人材を紹介してほしい」という話があるものの、なかなか見つからないのは、ミスマッチが起きているということでもあります。シンポジウムで伊藤穣一さんがデータジャーナリズムに関して、数学、ビジュアル、プログラミング技術の重要性を説いています。
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データジャーナリズム最新事例とこれからの民主主義 MITメディアラボ所長・伊藤穰一氏が語る【全文】(The Huffington Post)
角川とドワンゴの経営統合が話題ですが、角川歴彦会長が「デジタルネット企業になりたいと努力している」と言う角川の選択は、川上会長という希有なデジタル経営者を統合によって手に入れるとういことでした。これは既存メディアの人材の限界を示しているともいえます。
仲間とつくる日本ジャーナリスト教育センター(JCEJ)では、ウェブメディアに記事を書くジャーナリストキャンプという取り組みも行っていますが、システムへの投稿だけでなく、タイトルやリードの書き方、拡散の方法、反応の吸い上げなどは、想像以上に出来る人が少ない。「記事を書いたら終わり」から「記事の公開が始まり」への変化を頭で分かっていても、実際に手が動く記者は少数です。
伊藤さんはアメリカのジャーナリズムスクールの例をあげて、テクノロジーを理解しながらジャーナリズムを教える大学が少ないとしていますが、勤務している法政大学ではソーシャル(ビッグデータ)解析の共同研究も進めていますし、来年度からは、起業家ジャーナリズムをテーマにしたワークショップ形式の実習も開講します。この実習を受講するにはプログラミング系科目の単位が必要です。
これらはメディア業界が必ずデジタル化すると予測して準備を進めて来たものです。ゼミでは、デジタルジャーナリズム、デジタルネット企業に対応できる人材を育成できるような実践活動も行っています。「大移動」が言われる前に、先んじることが重要ではないでしょうか。