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ガ島通信

メディアとジャーナリズムの未来を追いかける

つながりのジャーナリズム 寺島英弥さんとの対話 第5回「ブログを書く事で個のジャーナリストになれた」

河北新報の編集委員寺島英弥さんとの対話の最終回。大きな震災があっただけに記事は希望や地域活性化が目的化しがちだが、先が見えない状況では幻想のハッピーエンドは誰も信じない。だけど、小さな希望がないと人は心が折れてしまう。寺島さんブログ「Cafe Vita」は小さな希望の火を分かち合う「ともしび」となる。そして、ブログを書くことで寺島さんは個としてのジャーナリストを見出していく。

藤代:ジャーナリズムは記録主義だといつも言ってます。寺島さんの話も歴史の記録だったと思います。
あるがままを受け入れて、記者も見たことを書くというのは歴史に対して誠実だと思うんですが、今までの新聞は誠実だったのでしょうか。例えば、当局と一緒になって高速道路のキャンペーンをやって、予算を東京に要求する。地方のキャンペーン機関として存在してきたことが大きかったんじゃないかと思っていました。震災に関しても「東京は分かってくれない」的な、記述をしてしまう。
寺島:河北新報の社是にも東北振興という言葉は…(「不羈独立」と「東北振興」が社是)
藤代:ホームページにもはっきり載っている
寺島:東北の虐げられた、発展から見捨てられたところから、始まったわけです。だからこそ、東北開発とか東北振興っていうような話をする。これはどこの地方もきっとね、どこの地方紙もでしょう。
藤代:はい。それはそうですね。
■歴史の前後を繋ぐのが地方紙の役目
寺島:地方紙は東京から言わせればなんかドブ板的な…
藤代:地域と一体じゃないかと。
寺島:まあドブ板どう違うんだというようなことだったんだろうと思うんですけれども。ただしかし、今回の震災を経験して、過去の原発報道を調べたりしてみると、電力会社に土地売らないっていう人の話やおじさんが本にまとめたであるとか、登記書き換えの訴訟を起こしたとか、ちゃんと河北新報では書いているんですよ。昔は原発反対っていう声をあげることも地方ではマイノリティだった。
藤代:そうですね。難しいですね。
寺島:原発の地元には個人的には嫌なんだけれども、みんなが原発を進めているから言えないんだという人もいるでしょう。でも、そういう人のこともきちんと書いてきたというところが地方紙の仕事だなと思って。東京紙が言うようなことだけではない。地方紙が記録してきたことがあって、初めてなぜ起きたとか、311以前が分かるわけで。だからブログでもなるだけ、それ以前の歴史というのも書くようにしているんですね。それ以前の歴史と311をはさんでの歴史がどう繋がっていくのかなって。そうすることで、はじめて失われたものが何か分かる。歴史の前と後とを繋ぐのが、地方紙の役目だと思うんですよ。
藤代:なるほど。ブログも新聞の記事を書くのもあんまり変わらないっていう感じですね。
寺島:そうなりますね。だから、別にベルリンの壁はもう、河北新報の中で崩壊したんだから、どんどん行けばいいという風に俺は思っているんですよ。
河北新報ではベルリンの壁は崩壊した
藤代:だけど思うんですよ。一瞬は崩壊したかもしれないけど、続かないなと。寺島さん以外の人が出てこない。
寺島:なんでなんですかね。寺島という編集員だからやれてるという風に思うところがあるのか。あるいはあんな仕事2倍も3倍もなって、できるだろうかっていうところとね。でもやってみればいいんですよね。ただそれだけなんですよね。ブログをやってみるかやってみないかというのは0と100の違いですからね。これは本当に。藤代さんがスイッチオンの時に種まきをして、それがあちこちで芽が出てくのと同じように、これも種まきのひとつなのかなって。仕事でやれと言われて、やるものとは違うものなので。
藤代:でも、ソーシャルメディアをやれという動きは新聞社にはあります。業務でやれと。
寺島:はい。やれと言われてみんな悩んでいるんですよね。
藤代:寺島さんの使命感はどこから生まれてくるんですか。
寺島:俺は、やっぱり自分の田舎だと思いますね。
藤代:田舎…
寺島:相馬地方というね。結局ブログでも、それが多くなってしまうんですけれども。失われてしまったものといいますかね。その、あの、何ていうんでしょうか。常に意識の中にあるんですよ相馬が。そこで非常に辛い思いをしている人のことを考えたら楽なんてできないなっとかって思う。
藤代:伝えなければいけないという義務感だけでは、あれだけのブログは続かないと思うんですが。
寺島:そりゃそうですね。
藤代:何で続くんですか。
■なぜブログを書き続けるのか
寺島:なんで続くんですかね。うーん。ねー。伝えたいというのが公式見解だけども。ねえ。なんでしょうねえ。いや去年はしょうがないと思っていたんですよ。しょうがないしょうがないって。今はこういう状態でも、それはもう今はしょうがないんだってことを自分で言い続けてきたんですよね。休みがなかったりとか、徹夜したりとか、しょうがない。
藤代:飲みながら寝てましたからね。
寺島:ああ、そうでしたね。しょうがないって思っていたんですよ。こういう状況なので。でも、時間の経過っていうのありましたけど、どんどんどんどんね。日、一日というか、二週間おいてそこを訪ねたら状況が変わっているんですね。日々違う事実が起きていて、新聞はまさにそういう日々の変化こそがニュースですけれども。いい風に変わるところもあれば、その逆もありますけどね。
藤代:そうですね。
寺島:自分が立ち止まっていられないっていう思いがあるんですね。時間の流れとは無関係でいられないっていう。
藤代:うん。
寺島:新しい状況、新しい変化をまた記録しなくてはならない。
藤代:失われたものがあったわけじゃないですか311で。
寺島:ええ、そうですね。
藤代:だからこそ、寺島さんは記録にこだわるのかなと。記録しないと流れていってしまうじゃないですか。瞬間は。
寺島:ええ。自分たちも忘れてしまいますしね。その時なにを言ったのかとかね。備忘録みたいなものですよね。日記みたいなものですから。その時自分が何を思ったのか。本来、自分という人間は、けっこう能天気でけっこうもの忘れの多い人間なんですね。かなりアバウトで、全然細かくないです。
藤代:確かにそういうことあるなって。忘れてる時とかありますからね。
■今回の震災は何一つ忘れたくない
寺島:だけど今回の震災に関しては、自分が関わったり、見たものは、何ひとつ忘れたくないっていうのが自分の中にすごくあるんですよね。何一つ忘れたくないんですよね。
藤代:寺島さんは言い方は陳腐だけれど、311ですごく変わったということですかね。
寺島:そうですね。
藤代:失った時間や場所か目の当たりにしたとしても、結局いつかは失われるじゃないですか。世の中のものは、無くなっていくし、消えていく。ほっといても変わっていくけど、だからこそ記録する。その瞬間、瞬間をなんか切り取る。できる限り切り取りたいというのが、寺島さんの今回のモチベーションなのかなーって思いました。
寺島:そういったことが共有できる場になるかもしれないんですよね。ほっておけば、どんどんばらばらになっていく中で、書かれたものが共有の場になる。
藤代:積み重なっていって。
悲から生をつむぐ 「河北新報」編集委員の震災記録300日
寺島:ええ。この前、飯館の村長にもこの本(『悲から生をつむぐ 「河北新報」編集委員の震災記録300日』)を送ったんですよ。たまたま親父の中学校の教え子だったんです。そういう細い縁があるんですよ。これが飯館村のひとつの記録ですから。もらって下さいと言って。
藤代:壮大だと思うんですよ寺島さんの話は。何ていうか悪い言葉かもしれないけれど欲深い。
寺島:ああー
藤代:ジャーナリストというのは寺島さんも話しているけれど、ひとつの断面しか書く事ができないじゃないですか。
寺島:そうですね。
藤代:流れている川を切り取ったとしても次の瞬間にまた違う川面が照らされる。私たちは全てを記録することができない。でも今日の寺島さんのお話は、とにかく、なるべくたくさん、流れている川をまるごと切り取りたいっていう話にも聞こえる。
寺島:うーん。自分ができることは何時間という断面でしかないわけですよね。その日に会った人の…
藤代:瞬間ですよね。
寺島:そうですね。その通り。
藤代:全部見えたなんて言えない。
寺島:時間にすればね。
藤代:ジャーナリストはその瞬間しか切り取れないという、一種の罪悪感があるんじゃないでしょうか。当事者であれば、ずっと切り取れるわけです。その罪悪感と、失われた歴史とか時間をいかに残すのかというような軸が重なりあった時に、とにかくたくさん記録して、なるべくその瞬間を再現するようにするというのは、んー、これまでの新聞記者とは違うと思いますけど、ジャーナリストだなと。記録者だから一番こだわっていく部分なのかなあと。いや、なかなかまとまらないですけど。
寺島:こんな風に自分のことを考えたことないですからね。
藤代:すごく聞きたかったんですよね。地方紙の記者でブログをここまでやってるのは寺島さんぐらいしかいない。
寺島:なんか意外ですよね。
藤代:意外。
寺島:震災でいろんな人が、俺はやっているんだろうと思ってたんですよ。
藤代:何で寺島さんしかやっていなくて、他の人はやらないのかっていうのは寺島さんに聞いても答え出ないわけですが。寺島さんのソーシャルメディアへの原動力を知りたかったんですよね。今日の話はまだまだ消化不良なんですけど、なんか寺島さんのやるべきことみたいなことをブログをやっていくことで見つけることができたのかなあと…
■個のジャーナリストが生まれた
寺島:それはありますね。私55なんですね。あと5年で定年ですけど、そういうの関係ないんですよね。会社的なスキーム、スケジュールは関係ない話ですよね。ブログでできるんだっていうことが分かればね。新聞社の編集委員であろうとなかろうと、会社員であろうとなかろうと関係ないっていうことも、分かってくるんですよね。だから、スイッチオンの原点というのは、個になって…つまり自分が個になって何を発信表現できるというのか、だった。新聞記事のフォーマットというものから、離れてもこれだけ色んなことが記者ってできるんだということが自分で確かめられた気がするんですね。これは、決して自分だけではなくて、20年とか、15年とか、10年でもいいけど、スキルを身につけた記者であれば、やろうと思えばブログは新しい表現ができる。新聞記事より、もっともっと自分の可能性、表現の可能性を広げる場なるということは自分に落とし込められたと思うので。だからみんなにやって欲しいんですよね。
藤代:そうですよね。寺島さんは僕にとって憧れで、書くという事に対する情熱ってすごいなあと思ってたんです。だけど、今日の話を聞いてそんな寺島さんにも組織との関係っていうのが心にあったのだなと…
寺島:いや、そりゃあそうですよ。
藤代:うん。だけど、初めて個人としての、個としてのジャーナリストというものが生まれたというか、確信したということなのかなと。
寺島:ええ。そうですね。ここから始められるということなんですね。
藤代:意外でした。
寺島:そうですか。俺は何度も藤代さんに書いたり、今日も言ったりしましたけど、スイッチオンでもらった種が根付いたんだと思います。自分の中でですね。つまりこういったことだったんだと。渦中で。誰にでも起こりうる渦中ですからね。
藤代:うん。そうですね。ありがとうございました。なんか、今度寺島さんが取材にいっているときに、一緒に連れて行ってください。
寺島:はは、そんな、恥ずかしいですよ、藤代さん。
藤代:いやいやいや。行きましょうよ、一緒に。ぜひ。
寺島:そうですね。そういう機会つくりたいですね。
藤代:ぜひ。もっと知りたいんですよ。寺島さんがどうやって書いているか。

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