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ガ島通信

メディアとジャーナリズムの未来を追いかける

サラエボ「トンネル博物館」「スナイパー通り」「青空市場」

ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争から15年が経過しましたが、サラエボには紛争の跡も残ります。ガイドさんにお願いして、回ってもらうことにしました。
トンネル博物館は、サラエボを取り囲む丘陵地帯に配置されたユーゴスラビア人民軍に包囲され孤立していた(サラエボ包囲)ボスニア軍が物資や人を運ぶために掘ったトンネルの一部を保存しています。サラエボ郊外にあり、バスは32番を利用。近くに回転場があり、そこから徒歩数分です。
トンネル博物館はこの民家に住む家族が運営しているそう。壊れた家の修理費を出してもらう変わりに、トンネルを保存して公開することにしたそうです。

トンネルは800メートルありましたが、現在は20メートル弱。トロッコ用のレールも残っています。

塹壕風につくられた地下室でトンネルに関わる映像を編集したビデオを上映しています。

サラエボ包囲の様子を説明した図。白いエリアがボスニア、赤がセルビア勢力。右上の細くなっている回廊が、国連軍によって確保されたサラエボ国際空港。トンネルは空港の滑走路下をまっすぐ通っています。

包囲が終わらないかもと考えて掘り始めたという新しいトンネルの跡。空港の東側にある住宅地の中にあります。

サラエボの南側の丘、スルプスカ共和国側からの眺め。丘陵地帯を押さえられると厳しい状況が分かります。中央部にある高層ビル左側にある黄色い建物が、紛争中にジャーナリストが集まったホリディ・イン。

スナイパー通りとホリディ・イン(黄色の建物)。セルビアが側が押さえた、ミリャツカ川の南側にあるグルバヴィッツァ地域に高層ビルがあり、そこから通りが見える状況になったため。

旧市街バシチャルシァに近い、青空市場。迫撃砲で市民がなくなった。いまでは市場として普通ににぎわっています。

市場の奥にあるモニュメント。色々な名前があり、紛争中でもさまざまな人が買い物に来ていたことが分かります。碑の横には木箱が積み上がっていました。

サラエボ五輪スタジアムの補助グラウンドにある墓地。

五輪施設のアイスアリーナ「ゼトラ」の中にはオリンピック博物館があります。入場無料なのでぜひ立ち寄ってください。受け付けに人がいなかったのでオリンピック協会の事務所を除くと、「会議をやるけど見ていっていいよ」と電気をつけてくれました。

今はない「ユーゴスラビア」のプレートも博物館には飾ってあります。