ガ島通信

メディアとジャーナリズムの未来を追いかける

ガダルカナル島に至る道、パールハーバーの記念館を巡る

このブログは「ガ島通信」という名前で、2004年9月にスタートしました。いつの間にか20年近い月日が流れました。ブログを書き始めたきっかけは2003年に出版された「ネットは新聞を殺すのか-変貌するマスメディア」を読んだことです。アメリカでブログと呼ばれるインターネットサービスが注目され、参加型ジャーナリズムと呼ばれる動きがあると書かれていました。

2004年は国内でもmixiやグリーといったSNSがサービスを開始し、8月にはGoogleが株式を上場、ブログをスタートした後ですが11月には伝説的な未来予測動画「EPIC2014」が公開されるなど、インターネットメディアの未来が議論されていました。新聞社などの既存メディアの将来は厳しそうですが、深刻にとらえていた人はごく一部でした。

ガ島とはソロモン諸島ガダルカナル島のことで、もはや新聞業界における「ミッドウェー海戦」は終わり、敗北への流れは決まっているという意味で付けたものです。日本軍は、ガダルカナル島での戦いで約2万人が死亡し、餓死者も出たことからガ島は餓島とも呼ばれました。ミッドウェーで空母4隻を失い戦局が決していたように、新聞業界も(別の視点から生き残りをかける読売新聞や電子化に進んだ日経新聞を除いて)勢いを失い、ここ数年ははっきりと衰退が見えてきました。

ガ島で戦っても意味がない、ミッドウェーの前を考えねばならない、とずっと考えてきました。年末にたまたまハワイに行く機会があり、ガダルカナル島に至る道としてパールハーバーの記念館を巡ってきました。

ホテルへの送迎付きの現地オプショナルツアーでの「アリゾナ記念館」「戦艦ミズーリ記念館」「航空博物館」の見学です。ツアーのホテル出発は5時30分。 その理由は日本からの観光客がパールハーバーツアーをほとんど申し込まないので団体予約枠が抑えられず、先着順の列に並ぶためと説明を受けます。

一番に入り口に到着し、真珠湾攻撃で沈んだ戦艦アリゾナの上に作られた「アリゾナ記念館」に向かうボートを待つ列に並ぶと、横から予約客がどんどん進んでいきます。予約なしは1時間後からボートに乗れるということで、ツアー参加者の方と交代で列をキープしつつビジターセンターを駆け足で見学しました。

アリゾナ記念館(USS Arizona Memorial)とビジターセンター

ビジターセンターは「The Road to War」と「Attack」という2つの建物で構成されており、小規模ながら大変興味深いものでした。「The Road to War」では真珠湾攻撃に至る経緯が、「Attack」は時系列で攻撃が紹介されます。

入り口を入るとアリゾナの模型がありますが、その横にある日本の航空母艦赤城の模型のほうが大きく精巧です。開戦時の太平洋における日米の海軍力は、日本のほうがアメリカを上回っているとの数字も示されています。

most powerful、greatest concentoretion、といった表現を使い奇襲が説明されています。

<<オアフ島を攻撃するために、日本海軍は史上最強の空母部隊と史上最大の海軍航空戦力を結集した。この攻撃には、綿密な計画、厳しい訓練、新しい技術、ーそして奇襲の要素が必要であった。>>

ハワイのホノルル領事館に駐在してスパイ活動をした海軍吉川猛夫氏の紹介。アメリカ側の攻撃当日の通信状況の展示もあり、情報について力を入れていることが伝わります。

今回は、ボートを待つ間に交代でしかビジターセンターを見ることが出来ませんでしたが、ビジターセンターの見学だけで1時間は欲しいところです。

なお、ビジターセンターと「アリゾナ記念館」はどちらも無料です。「潜水艦ボーフィン号」は有料です(今回は行きませんでした)。

次は「戦艦ミズーリ記念館」「航空博物館」のあるフォード島に向かいます。オプショナルツアーだったのでツアー会社のワゴンで向かいますが、現地でチケットを買うとシャトルバスが利用できます。

航空博物館(Pearl Harbor Aviation Museum)

真珠湾攻撃の最初の無線警報が発せられた空港の管制塔と格納庫を利用してつくられた航空博物館。入り口すぐにゼロ戦航空母艦「加賀」の模型、寄せ書きなども展示されています。イヤホンガイドからは、日本は10隻の空母を持ち(軽空母含む)、良い性能の航空機と、高いリスクを取る真珠湾攻撃を行った。これにより航空戦を軽視する意見もあったアメリカ軍内の流れが変わった、といった説明があります。

ビジターセンター同様に、航空機と航空母艦を中心とした「機動部隊」による攻撃のインパクトを踏まえた上で、アメリカがどのように対抗していったかが説明されます。

ミッドウェー海戦のパネルも。多くの展示が英語・日本語の併用で、日本語のイヤホンガイドもあります。

真珠湾攻撃時に不時着した零戦パイロットが島民に殺害され、かばおうとした日系人が自殺した「ニイハウ島事件」についての展示。さらに、2つの格納庫とその間の空間に、カーチス、ドーントレス、ワイルドキャットから、映画「トップガン」に出てくるF-14、ヘリなど多数の実機があることも、驚かされます。

戦艦ミズーリ記念館(Battleship Missouri Memorial)

降伏文書の調印式が行われたミズーリ。日本語ガイドの方により、調印式が行われた場所、甲板への特攻の跡など、30分弱の説明があります。コロナで少なくなっているとのことですが数名の日本語ガイドが活躍しています、ツアーではなくても乗船したすぐのカウンターでお願いすれば対応してくれるとのこと。

https://ussmissouri.org/jp/

半日という駆け足でパールハーバーの記念館を巡りましたが、展示や説明からはアメリカ側が、かつての戦争をどのように捉えているか、敵国であった日本をどう評価しているのかが分かります。非常にフラットで、航空母艦を中心に「機動艦隊」を運用した日本に対するリスペクトを感じるものでした。

戦艦から航空母艦を中心とした戦いに変化する中で、日本軍は大艦巨砲主義にこだわったという言説もありますが、そうではなく「機動艦隊」による奇襲というイノベーションを示し、アメリカ太平洋艦隊を率いることになったチェスター・ニミッツはミッドウェーでの戦いに全精力を傾けていく。そして、日本はミッドウェーで空母4隻を失い、戦局は決することになります。

本当は日本は勝っていたなどと言いたいわけではありません。テクノロジーの進化とその組織対応や投資が適切でなければいけない、と言うのは簡単ではないということです。歴史から学ぶためには記録が必要であり、負けたことも、問題があることも記録し、フラットに評価する必要がある。

ハワイに行く機会があれば、ぜひパールハーバー記念館を巡って、それぞれに考えていただけると幸いです。次はガダルカナル島にも行ってみたいものです。