「迷いと決断-ソニーと格闘した10年の記録-」出井伸之
ソニーのCEOを務めた出井伸之氏がソニー時代の思い出を書き記した「迷いと決断」。出井氏と言えば、CEO就任当時に軽井沢の別荘で愛車の赤いポルシェと登場した自動車雑誌「NAVI」の写真を思い出します。背が高く、おしゃれな出井氏は、ソニーの革新的な企業イメージと見事に重なっているように見えました。他の日本の大企業のトップが黒塗りの後部座席に乗るのに比べ(取締役時代は中古のジャガーに乗っていたはず)「カッコいいソニーらしいトップだ」と勝手に納得していたものです。
14人抜きでソニーのトップに選ばれたにもかかわらず、終わってみればソニーを苦境に陥れたワースト経営者という評価。「本当はどうだったのだろう」とこの本を手にとってみました。
『生存率50%以下』状況でトップを任された出井氏は、キャッシュフロー経営、DVDフォーマット戦争の終結、アメリカのガバナンスの回復などに次々と取り組みます。インターネットの重要性にも早くから気づき、VAIOもパソコンのトップブランドに押し上げます。
しかし、結局改革は頓挫します。ソニー社員の偶像意識、OBや社外役員の政治的な動きなど、理由が挙げられていますが、結局のところ出井氏が「やりきれなかった」というのが正確ではないかと感じました。
文中にも『もともと非常になりきれない私の脇が甘かった』『自分が社長になる際に序列を飛び越した人たちに対する遠慮…』など各所に「迷い」の表現があります。フォーチュンが書いた『出井は正しい決断をしながらそれを執行しなかったことで求心力を失った』という言葉を『まさにその通り』と認めてしまう。
経済学者の父を持ち、小中学校を成城学園ですごし、ラーメンにカルチャーショックを受けたという育ちの良い出井氏には、伝説の創業者を擁するソニー初の「プロフェッショナル(サラリーマン)経営者」として、それも問題がある状況を変革する時期のトップとしては、狂気と執着心が備わっていなかったのかもしれません。
顧問制の廃止すら、結局ストリンガーという「外人」に頼らなければ不可能だったことを考えると、ソニー病の治療が出来なかったことをサラリーマン経営者である出井氏一人の「責任」にしてしまうのはあまりに重すぎる。この本を読みながらそんな気がしました。