ガ島通信

メディアとジャーナリズムの未来を追いかける

サッカーW杯、日本代表から学ぶことがあるとすれば…

ドイツワールドカップ、日本代表は一勝もできずに予選で敗退という結果に終わりました。お約束の戦犯探しから、「そもそもグループが厳しすぎた」とか「日本の実力はあんなもの」という冷めた意見、そして早くも次の代表監督探しまで様々な報道や会話がなされていますが、冷静に結果を分析したものは少ないように思えます。私も、ワールドカップが始まる前は「グループリーグは突破するだろう」と楽観的に考えていましたが、日本代表の戦略や戦力を見誤っていたようです。この敗退から学ぶことがあるとすれば何か、考えてみました。
そもそもジーコの監督としての資質についてはかなり早い段階から評論家から疑問の声が上がっていました。特に選手交代のタイミング、選手への「自由」の与え方などです。とはいっても、ジーコはアジア予選を突破して結果は出しました。本選の組み合わせを見た際には、私も「これは難しいグループだな」と思ったはずなのですが、テストマッチでも負けが少なく(ウクライナ戦などは、「あれは審判の判定が悪かった」と思い込もうとした気もする)、いつしかグループリーグ突破の楽観論を疑わなくなっていました。

再び不安が大きくなったのは2−2で引き分けたドイツ戦でした。確かにいい内容だったかもしれませんが、本番に向けたピークの持っていき方など、どうなっているのかと…。しかし、この時点でもまだ頭は楽観論に支配されていました。「ドイツを本気にさせた」。メディアもポジティブ一色です。

オーストラリア戦の後半、日本の選手はかなりスキがあるように見えて、「中盤でしっかり寄せなければこれは負けるかもしれない」と友人にメールを送り、試合後には「全敗もありえる」と書いたのですが、それでもまだ、ちょっと期待していた自分もいました。「クロアチアには勝つだろう」。しかし、最後まで奇跡は起きませんでした。

今回が最後とマスコミに騒がれていた中田英寿がブラジル戦後に仰向けにピッチに倒れた姿、そしてその後のそっけないが、悔しさがにじみ出るインタビューを見て、中田がずっと警告を発していたのに、多くの人と同じように私も楽観的に見てしまっていたことに改めて気づかされました。「走らないとだめだ」「戦うチームになっていない」と周囲で盛り上がるポジティブな論調に一人逆行してダメ出しを連発する中田を快く思っていない選手もいたことでしょう。

W杯日本代表 その目は赤かった…中田選手のW杯終わる」というヤフーに掲載されていた毎日新聞の記事によると

68年のメキシコ五輪で日本を銅メダルに導いたデットマール・クラマーさん(81)が大会直前、「問題なのは選手の半分が中田の考えを好きではないこと。チーム内で中田がどう振る舞い、仲間が中田をどう扱うかがカギだ」と話して…

厳しさを訴え続ける中田は周囲に受け入れられず浮いてしまい、中田もうまく危機感を伝えることができなかったということなのでしょう。

今回、WBCのイチローと中田を比べる報道も見られました。確かにイチローもよく言えば孤高、悪く言えば人をバカにしたような態度でマスコミとあまり良い関係ではない、ストイックに生き、結果を出してきた、などの共通点があります。しかしWBCはチームは崖っぷち(いや、崖から落ちていたかもしれない)から「奇跡」が起きたわけで、単純に比較はできないと思います。確かにいえることは、中田のヨーロッパでの経験は知恵、危機感はチームに共有されず、日本は予選落ちしたということです。

以前にラグビーの日本代表について「ラグビー日本代表、弱すぎだよ、っていうか恥だ」というエントリーを書いたことがあります。ラグビーは相変わらず進化しているとは言えない状況ではないでしょうか。無駄にポジティブな思考(時と場合によっては効果もあるでしょう)の限界が出た気がします。「勝負」である以上、それはスポーツであっても、ビジネスであっても勝利を求めるなら常に厳しくあらねばならない。日本代表の予選落ち、特に中田の涙から、そんなことを思いました。