毎日新聞の連載「縦並び社会・格差の現場から」の違和感
毎日新聞の連載「縦並び社会・格差の現場から」を興味深く読んでいます。元クレイフィッシュ社長の松島庸氏の挫折とチャレンジをサイバーエージェント藤田晋社長との対比で描く「ヒルズ族になれなかった男」は、なかなかの読み応えです。ところで、連載の趣旨説明が少し気になりました。
「一億総中流」時代は終わり、格差が広がりつつあります。効率追求の競争はますます激しく、会社も人も「勝ち組」「負け組」にはっきり分かれようとしています。自殺は毎年3万人以上、生活保護は100万世帯を超すという現実が私たちの眼前にあります。これが「頑張れば報われる」新しい社会像なのか。それともセーフティーネット重視の相互扶助型の社会を選ぶのか−−。海外にも目を向け、日本の目指すべき針路を読者とともに考えます。
と書かれているのですが、私が引っかかったのは『「頑張れば報われる」新しい社会像』というフレーズです。
私は、これからの時代が「頑張れば報われる」ほど甘いものとは到底思えないのです。頑張っても、報われないかもしれない時代がやってきている。ヒルズ族になれなかった男でも、『何が3人の明暗を分けたのか。藤田社長は今も紙一重としか思えない』と三羽ガラスと呼ばれた松島、藤田、堀江(ライブドア社長)と書かれています。常に競争にさらされるということは、どこまで頑張っても「安心感」をもてない。だから、下流でいいと思える人は上流を目指さないのではないか…。
もし、この連載の軸が「相互扶助社会」と「頑張れば報われる社会」(というのが幻想だと主張したいのかもしれないが、そんな認識をしていないと思われ…)ならば、どこかボタンを掛け違えている気がします。
追記(1月4日) Fireside Chatsさんが元クレイフィッシュの松島氏との12年を振り返るエントリーを書かれています。大変興味深い内容でした。それにしても、松島、藤田、堀江の3氏は私と同年代。12年間の時間の流れを考えると… 複雑な思いもあったりします。