ガ島通信

メディアとジャーナリズムの未来を追いかける

伝える側と受け取る側のミスマッチ

「紙メディア速報 震災現場で活躍」との見出しで、11月20日付日経プラスワンのコラム・デジタルスパイス(ノンフィクション作家・山根一眞氏が執筆)に当ブログでも紹介した移動支局車「ぶんぶん号」のことが紹介されていました。
「大災害時にネットは使えない」「テレビ報道には全員が接することは難しい」との地元紙担当者のコメントがあり、移動支局車の紹介、「大災害時には紙メディア速報が一番という原則を忘れずに、備えてほしい」と結んでいます。
ん?この結論。ちょっと一面的ではないでしょうか?まず、このコラムには被災者の感想や文句(もちろんとても好評でなかったのかもしれない)は一言も紹介されていません。筆者の体験として阪神大震災の取材を通して紙メディアの必要性を実感したことが書かれているだけです(それにしても、阪神大震災であれだけ見直されたラジオのことはまったく書かれていない)。確かに情報を伝える側にとっては、停電や電話回線の寸断などで通信網が壊れてしまえば、確実な「紙」メディアを使えるというのは非常にありがたい。しかし、問題は情報を受け取る側(この場合は読者)が何を求めているかです。
もちろん、移動支局車が実現したことは評価すべきです(Aカメラマンも報告の中でそう書いているし私も高く評価している)。しかし、そこで何を伝えるかが本当は問題なのではないでしょうか? 自身の被災経験からい言えば、被災中(私の場合は家の床下の水が少しずつ上昇しているとき)はテレビやラジオ、携帯でライブのニュースを得ようとし、まったく役にたたず。台風が去った翌朝はゴミや罹災証明の窓口などの生活情報をチェックしようと「紙」である新聞を広げました。しかし、新聞には被害の結果しか載っていませんでした。
つまり、報道内容と被災者が必要とする情報が食い違い『情報を伝える側と受け取る側のミスマッチ』が起きていたわけです。私が行っている既存メディアとブログへの災害報道への意見募集(ぜひ意見をお寄せください。まだまだ募集中です)でも、ネットとテレビ、新聞に求めていることは少しずつ違っていることが分かります。現地の人だけでなく、安否を確認する人、ボランティアを希望する人など周辺の人も情報を欲しがっています。例えば、第一報はどのメディアとも「地震や台風が起きた」というニュースになるでしょうが、時間経過とともに新聞やラジオは生活情報、ネットは外側への発信、テレビが全体的なニュースとうまくすみ分けることができれば、かなり使える災害報道になってくると思います。