5年後、ウェブへの記者「大移動」は起きない。それは既存メディアの願望である
朝日新聞とマサチューセッツ工科大(MIT)メディアラボのシンポジウム「メディアが未来を変えるには~伝える技術、伝わる力~」に関連して、朝日新聞のウェブサイトに興味深いインタビュー記事が掲載されていました。タイトルは 「記者独立の時代、5年で来る」。
東洋経済オンラインの編集長で、『5年後、メディアは稼げるか』の著者でもある佐々木紀彦さんが、欧米のスター記者や編集者の伝統メディアからの独立や、新たなデジタルメディアの設立について、朝日新聞の古田大輔記者の質問に答えたものです。
シンポでもツイッター担当の津田大介さんが「朝日新聞のエース級記者に、新興メディアに移る意志があるのかを聞きたい」という質問が投げかけらました。
佐々木編集長は、日本でも旧メディアから新興メディアへの移動が5年も経たずに起きるとしています。しかしながら「大移動」は起きないでしょう。
「一流の待遇」は5年は続く
佐々木さんと古田記者のやり取りを確認します。待遇が変われば移動が起きるという指摘です。
佐々木:「オールドメディアの待遇、とくに一流と呼ばれるところの待遇がいいからでしょう。でも、じりじりと伝統的メディアにいるメリットと新しいメディアにいるメリットが均衡してきています。それが交差するとき、優秀な人が外に出る方がいいときがいつ来るのか。それが未来を見通す上で一番重要な問いです」
古田:その分水嶺(ぶんすいれい)はいつ来ると思いますか。
佐々木:「5年経たず来るでしょう。一流の人だけでなく、準一流な人も出るような雰囲気や合理性がでてきたとき、雪崩をうつんじゃないですかね」
年収ラボによると、大手新聞社の平均年収は朝日新聞社で1,252万円、日本経済新聞社で1,201万円、毎日新聞社で770万円、産業経済新聞社で712万円です。ちなみに、佐々木さんの所属する東洋経済は1,042万円で、年収ラボの出版業界別平均年収ランキング1位です。
一方、PCウェブのマスメディアとも言えるヤフーの平均年収は663万円。マスメディア出身者にそのままこの平均年収が当てはまる分けではないでしょうが、平均では倍近い開きがあります。ベンチャーの新興メディアだと経営陣以外はもう少し安いかもしれません。
毎日や産経であれば既に、移動しても良いレベルにあると考えることができますし、実際に毎日や産経出身でウェブメディアで活躍している方もいます。ですが、新聞崩壊、危機などと言われながら「一流の待遇」を持つ新聞社の業績や待遇はそれほど悪化していませんし、経営状態を見ても5年後に急降下することも考えにくい。これが「大移動」が起きない一つ目の理由です。
移動できる人材が少ない
「大移動」ではなく、ジワリと移動は進行しているという方が正確でしょう。
それを裏付けるデータとして、日本新聞協会がまとめている新聞・通信企業の従業員総数があります。1993年の6万7356人をピークに減少が続いていて、2013年は4万3704人となっています。そのうち記者は約2万人です。新聞社は20年前から社員が減り続けていて、衰退し続けていると言えます。
新規採用者数は10年前は1,177人ですが、754人となっています。正社員の雇用調整が難しい日本の伝統的な企業では、新規採用を抑制することで人件費を抑制するという選択が取られる事が多いわけですが、新聞業界も同様です。そのため、社員の年齢構成では「40から44歳」「45から49歳」の割合が多く、60歳代が4%台を超えています。
転職は年収、ポジション、適合柔軟性などの要因から年齢が上昇すると難しくなると言われています。
シニアの転職はどうでしょうか。シニアは単に記事が書けるだけでなく、企画立案や経営などの経験が求められるでしょう。@ITを立ち上げて、アイティメディアの会長も務め、現在スマートニュースの執行役員を務める藤村厚夫さん(60歳)のような人材は新聞業界には皆無に等しいでしょう。
移動できそうな若い記者はもはや新聞業界に少ないのです。これが「大移動」が起きない二つ目の理由です。
ウェブには多様な書き手が増えている
ITmediaやCNETといったネットメディアに加え、ソーシャルメディアの登場によって誰でも発信できるようになりました。さらに、この記事を書いているヤフー個人やBLOGOS、ハフィントンポスト、さらにスマートニュースなどが生まれ、多くの人に届くようになりました。
つい先日は、博報堂DYHD、ニュース編集・制作の新会社設立というニュースが流れました。新会社のNEWSY(ニュージー)顧問は中川淳一郎さんです。
経済系のニュース共有サービスNewsPicsk(ニューズピックス)は編集部を持つ方針を明らかにしていますが、運営するのは証券会社出身です。企業のオウンドメディア戦略が進むと、企業内から書き手が出てくるかもしれません。
既にウェブではライター、ブロガー、研究者、芸能人やスポーツ選手など、多くの書き手がいて、新興メディアが立ち上がっています(これまでの「ニュース」にニュース風、ニュース仕立ての記事が混じる事に議論があるでしょうが、それは別途どこかで書くとして…)。これが「大移動」が起きない三つ目の理由です。
移動できるかはマーケット次第
個人的な事を話せば、2005年に地方紙で最も待遇が良いとされる徳島新聞を退職しました。「アホじゃないか」とさんざん言われましたし、友人は「早まるな」とアドバイスしてくれました。
給与や退職金という待遇を捨てるのはリスクがありましたが、ウェブの世界で起きるメディアやジャーナリズムの世界を見たかったというのがありますし、当時は記者ブログが珍しく注目もされていましたので、今なら移動できる、10年後は難しくなる、と判断したというのもあります。
幸い前職のNTTレゾナントが採用してくれたことで、ヤフーのトピックスと同じようなニューストピックスの担当だけでなく、新サービスや新ビジネスの開発、研究所の方々と研究技術を世に出す仕事に携わる事ができました。
記事を書き、編集するだけでなく、仕様書も書き、プロジェクトマネージメントもし、時に営業もしました。不本意な時もありましたが、サービス開発の難しさや営業の苦労も知り、貴重な経験をさせてもらいました。これも、一歩早く飛び出したから出来た経験だと思います。
ハフィントンポスト日本版の編集長である松浦茂樹さんと人材採用について話をした際に「2005年ごろにオールドからウェブに出て来た人材は玉石混淆だったけど、最近は良い人材がいる」と話されていました。
時々、ウェブメディアや新興メディアの方から「人材を紹介してほしい」と言われることもありますが、今は記者としてそれなりに実力があり、ソーシャルメディアを使いこなし、さらに企画力とか経営マインドがないと移動できなくなって来ていると感じます。昔は単に既存メディアだというだけで珍しかったけど(私はそれで救われた)…
待遇が良い時は既存メディアにとどまり、待遇が悪くなってくると新興メディアに移動した い、それもタイミング良く、これはずいぶんと都合の良い主張です。大移動というのは既存メディア側の願望なのではないでしょうか。
どんなスキルが必要なの?
マーケットはどんどん変化しますが、何の準備もしないというのは無策すぎます。「人材を紹介してほしい」という話があるものの、なかなか見つからないのは、ミスマッチが起きているということでもあります。シンポジウムで伊藤穣一さんがデータジャーナリズムに関して、数学、ビジュアル、プログラミング技術の重要性を説いています。
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データジャーナリズム最新事例とこれからの民主主義 MITメディアラボ所長・伊藤穰一氏が語る【全文】(The Huffington Post)
角川とドワンゴの経営統合が話題ですが、角川歴彦会長が「デジタルネット企業になりたいと努力している」と言う角川の選択は、川上会長という希有なデジタル経営者を統合によって手に入れるとういことでした。これは既存メディアの人材の限界を示しているともいえます。
仲間とつくる日本ジャーナリスト教育センター(JCEJ)では、ウェブメディアに記事を書くジャーナリストキャンプという取り組みも行っていますが、システムへの投稿だけでなく、タイトルやリードの書き方、拡散の方法、反応の吸い上げなどは、想像以上に出来る人が少ない。「記事を書いたら終わり」から「記事の公開が始まり」への変化を頭で分かっていても、実際に手が動く記者は少数です。
伊藤さんはアメリカのジャーナリズムスクールの例をあげて、テクノロジーを理解しながらジャーナリズムを教える大学が少ないとしていますが、勤務している法政大学ではソーシャル(ビッグデータ)解析の共同研究も進めていますし、来年度からは、起業家ジャーナリズムをテーマにしたワークショップ形式の実習も開講します。この実習を受講するにはプログラミング系科目の単位が必要です。
これらはメディア業界が必ずデジタル化すると予測して準備を進めて来たものです。ゼミでは、デジタルジャーナリズム、デジタルネット企業に対応できる人材を育成できるような実践活動も行っています。「大移動」が言われる前に、先んじることが重要ではないでしょうか。