ガ島通信

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取材の現場から4:ヘリで山古志村の牧場を訪れた

記者による中越地震リポート。現地の状況は絶えず変化しています。筆者の考えが変化したり、表現にブレが生じる可能性が高いため、継続して読んで判断してもらえると助かります。

◆B記者◆
ヘリで山古志村の牧場を訪れた(ヘリは牧場主の好意により同乗)。この牧場は1000頭の牛を飼っている。牧舎は倒壊せず、牛は数頭しか死ななかったという。しかし、山あいの取り付け道路が壊滅。生きた牛の水とエサがたちまちの重大問題となった。ヘリの物資補給は、費用と量の面でたかがしれている。村への道路が通れない現状で、さらに役場まで車が通れない状況では、陸路で牛を移すことはできない。かといって、牛を死なせても、死体の処理ができない。その費用は莫大なものになる。
今回の新潟県中越地震は、市街地より山あいでの被害が多いことが際だった特徴だ。ベテラン記者の一人が「中山間地が舞台となった、戦後初めての地震災害かもしれない」と話していたが、あるいはそうかもしれない。例えば、避難所の生活でも、各集落のコミュニティを残すことについて、住民の強いこだわりがある。避難住民の連絡は「区長」を通じて行う、といったことだ。
テレビ中継の部隊となる小千谷市中心部の被害は、ライフラインが中心で、建物被害はそれほどでもない(ただし、川口町は中心部も被害を受けた)。先入観を持って訪れた人間にとっては「何だ壊れてないじゃん」という印象すら持つかもしれない。一方で、信濃川の谷に広がる市街を離れた、山沿いの地域は、山崩れで破滅的な被害を受けた。山古志村、母子3人の車が埋まったがけ崩れ現場、それぞれの山、それぞれの谷に通じる道路が崩れ落ち、山あいの集落が次々と孤立した。
なかには事実上孤立しながら、避難せずひっそりと暮らしている地区があるとも聞いた。
人間はヘリコプターで避難した。しかし、ヘリに持ち込めなかったペット、牧場にいる1000頭の牛、山古志村特産のニシキゴイ。補給がないまま残されれば、死を免れない。報道のヘリはこれらを映し出すことができなかった。おそらく、被害の全貌があきらかになるのは、集落への道路がまがりなりにも通じた以後になるのではないか。あぜが壊れ、雪の訪れを控えた魚沼市では、「水を入れてみないと田んぼが使えるか分からない。被害は来年まで分からない」と来春の魚沼コシヒカリの田植えへの甚大な被害がささやかれ始めた。
一方で現場では、生ニュースとしての救出劇、避難劇は既に終わった。現場では、「全国ニュースはもうネタ切れ」との声も出始めた。撤収の早い民放は少しずつ帰り始めているかも知れない。一方、これから続くのは長い避難生活と、仮設住宅の建設。それにともなう生活の問題だ。その時に息の長いフォローができるかどうかがまさに報道の鍵なのだが。それはメデイァウオッチャーの見るテレビの全国ニュースではなく、地元メディアの仕事になるだろう。(了)