ガ島通信

メディアとジャーナリズムの未来を追いかける

「特殊指定見直し」という大政翼賛会

最近新聞の特殊指定見直しについて政治家の発言が相次いでいます。自民、民主、公明、社民、共産から地方議会まで特殊指定の見直しに反対、慎重な姿勢を表明。超党派の議員が「活字文化を守れ」と声を上げ、自民党は「新聞の戸別配達網の維持や、国民の知る権利の保障のため」の新たな議員立法の検討チーム(高市早苗座長)を作って大援護射撃の構えです。新聞各社はアンケートや世論調査を行い「宅配制度が必要」と論陣を張り、新聞協会はシンポジウムを開き、有識者からの反対を取り付ける。見直しに強い意欲を燃やしている公正取引委員会への風当たりは強まるばかりです。「多様な言論を守るため」と主張しながら、見直し賛成の意見がほとんど掲載しない新聞社。まるで大政翼賛会のようです。
まず、特殊指定についてですが、公正取引委員会が論点についてホームページでQ&Aにしてまとめてあります。

新聞の特殊指定では何が定められていますか?との問いには

 新聞特殊指定では、新聞の値引きの禁止などを定めています。具体的には、次の3点を定めています。
①新聞発行本社が地域又は相手方により多様な定価・価格設定を行うことを禁止(ただし、学校教育教材用や大量一括購読者向けなどの合理的な理由がある場合は例外。)。
②販売店が地域又は相手方により値引き行為を行うことを禁止(①のような例外はない。)
③新聞発行本社による販売店への押し紙行為(注)を禁止。(注)押し紙:注文部数を超えて供給し、又は自己が指示する部数を注文させること

と答えています。そして、公正取引委員会は、新聞特殊指定についてどのような問題があると考えているのですか?との質問に

①新聞特殊指定が新聞について多様な定価設定を行わない口実に使われているおそれがあり、消費者利益を害する結果をもたらしていること
②新聞特殊指定が、独占禁止法の認めた範囲を超える過剰規制となっているおそれがあるということ
③新聞については著作物再販制度の対象となっていることから、販売店間の価格競争を回避したいのであれば、新聞発行本社と販売店の間の再販契約を利用すべきであること、が挙げられます。

と答え特殊指定の見直しが必要だと訴えています。詳しくはQ&Aを読んでいただきたいのですが、長期契約割引や学割などが設定できるはずなのにやっていない、新聞は著作物再販制度の対象なので新聞発行本社と販売店と間で契約すれば定価販売を維持させることができる、としています。

これに対して、新聞業界側からの反論は主に『特殊指定が見直されれば宅配制度が崩れてしまう』『価格競争が起きて良質なジャーナリズムや活字文化が消えてしまう』という2つの点でしょう。

まず、価格競争についてですが、公取委は「それは新聞社と販売店の問題でしょ?」と冷静な指摘をしています。新聞社が販売店をコントロールし、定価で販売するようにすればいいというわけです。しかし、そうはいかない。

新聞社は、「押し紙」(特殊指定の③で禁止されている)を販売店にお願いしています。新聞の購読部数が減っている上、広告の新聞離れも進んでいます。新聞の広告費は部数をベースに設定されているので、部数を減らすわけにはいかないので、さらに押し紙を押し付け、販売店は拡張に走らざるを得ない。それが何を引き起こすかと言えば、「新聞とってくれたら○ヶ月無料にするよ」とか「洗剤やプロ野球のチケットあげます」という目先の数を求めた無理な拡販です。次々と新聞を乗り換えてずっと無料で読んでいるというつわものの話も聞くほどです。現実的に定価販売は崩れ「広告の包み紙」となっている。

新聞は、部数減が止まらない、広告単価維持のためさらに押し紙、そして強引な拡販、という負のスパイラルに陥っているわけで、特殊指定の見直し行われれば今以上の「仁義なき闘い」が行われるという危機感があります。そのような現実をオブラートに包んで、価格競争でジャーナリズム云々の話をされても説得力はゼロでしょう。

宅配については議論のあるところかもしれません。先に述べた拡販競争で一部の販売店の体力が弱っています(折り込み広告がたくさん入るところは儲かっている)。しかし「宅配を維持する」という一点に絞れば、別に郵政公社や宅急便を使ってもかまわないのです。

新聞社と販売店というのは、自動車メーカーと下請け(系列)メーカーのようなものです。円高で苦しかったときメーカーの要求は厳しさを増したり株を売ってしまったりし、系列は脱系列や技術開発で生き残りを図りました。販売店も再編、併売、ビジネスモデルの開拓を行うべきです。多くの企業が必死の努力で時代の変化に対応しようとしています。新聞業界の言い分は、これまで通りやったら苦しくなるという「甘え」以外の何者でもありません。

ジャーナリズムと経営がからむとまともに議論にならないのですが(このブログで何度も述べていますがこの部分がネックになり議論が進まない)、以前のエントリー創4月号「新聞社の徹底研究」でも指摘しましたが『まるで民間経営者の発想です』などと発言したりする人が新聞関係者にまだまだいます。それなら公務員(キャリアじゃないですよ)並みに給料を引き下げるというのも手でしょう(経営的にも有効だ)。本気で反対するなら、少なくとも日本の産業で最も高い給与水準を見直すべきです。

ロジカルな反論ができない場合は、感情に訴えるものになりがちです。新聞協会のシンポジウムを報じる朝日新聞から出席者発言を抜粋すると

鹿島茂・共立女子大教授(仏文学)「宅配制がなくなれば、分極化が進む。これは日本に合った社会ではない」
鈴木秀美・大阪大教授(メディア法)「経済的な規制緩和が文化、自由な情報の流通からはマイナスになる。その可能性について配慮がないのは乱暴ではないか」
山川洋一郎弁護士「戸別宅配のシステムは一度壊れると元に戻すことが難しい。慎重な検討が必要だ」
鈴木恒夫衆院議員「公取委の見直しは、市場原理によって日本文化の破壊を招く」
作家の柳田邦男さん「自分の関心事以外の情報も掲載されている新聞からは世界を知ることができるが、関心事だけをネットで検索していては世界が見えなくなる」

とにかく反対のオンパレード。それだけでなく、ネットを悪者にする始末です。客観報道はどこに行ったのでしょう(まあ、そんなものは最初からないわけなんですが)。

元NHKでネットに関する著書も多い池田信夫氏は自身のブログのエントリー「活字文化があぶない」でシンポジウムについて触れ

このシンポジウムについて、中立的な立場から報じているメディアがライブドアしかないという事実が、日本の活字文化がいかに「あぶない」かを示している。

新聞各社が世論調査などで示しているように、新聞の宅配制度が圧倒的多数の国民に支持されているなら、それを法的に補強する必要もないだろう。まして特殊指定の廃止が「活字文化の危機」をもたらすというのは問題のすりかえであり、この両者にはいかなる因果関係もない。このようなバランスを欠いた報道をすべての新聞で繰り返し、地方議会まで動員して「見直し反対決議」を出させる新聞社の異常な行動こそ、冷静で客観的な活字文化の危機である。

と書かれています。ライブドア、それもPJしか書かないというのは、確かに「あぶない」(笑)。いや笑い事ではなく大変な問題です。公正取引委員会側の意見はほとんど新聞に掲載されませんし、意図的に捻じ曲げられている可能性すらあります。インターネットがあるので公取は情報発信できますが、新聞報道の前ではかすんでしまいます。ここのところの新聞関係者の言動は、まるで護送船団を守ろうとしていた頃の銀行トップや衆院選前の郵政族や大樹の幹部のようです。

自らの経営努力を棚に上げて、一方の言い分を封じ、ジャーナリズムという美名の下に権力に擦り寄って政治家と取引する。この「取引」のツケは相当大きなものになるでしょう。政治家がここまで必死に新聞業界を支援するのはなぜか? 普通に考えてメリットがなければやりません。もし、特殊指定の見直しが延期されても、新聞は政治への「ツケ」を支払っていく必要があります。本当に新聞ジャーナリズムを憂う人はいまこそ声を上げるべきです。

しかしながら、ほとんど表立った声はありません(こういうのは表立って、はっきりと意思表示しなければ意味がない。「会社では議論いている若手もいるんです」なんてのは言い訳に過ぎない)。国民生活に新聞が真に必要で、特殊指定の見直しが問題であるなら、政治家ではなく、消費者に問うべきです。新聞という商品に自信があればできるはずです。


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