ガ島通信

メディアとジャーナリズムの未来を追いかける

自らの可能性を否定するライブドアPJ

古くからネットにかかわってきた記者・団藤保晴氏のブログ時評「ライブドアPJに忠告し忘れた欠陥」に対して、ライブドア報道センター長補佐で大学講師の小田光康氏が『言論江湖』「ブログ時評」という論理破たん【東京都】という壮大な三部作で反論しています。私は「ライブドアPJがそれを言ったらお終いだろう」と残念、かつ悲しくなってしまいました。この文章、いつものごとくアナクロで支離滅裂な上、前置きが文章の3分の2もあるなど、突っ込みどころがありすぎるので、そのあたりはまあスルー。問題は(上)にある『ネット掲示板にありがちなプライベートな言説なので、そういう見方もあるのかと見捨てておいた。だが、伝統ある「世界」にパブリッシュされれば、話は違ってくる』という一文。ライブドアPJは、ネット上での新しいジャーナリズムや言論のあり方を模索しているのではなかったのでしょうか? ネットで展開するPJが、ネット言論を否定し「紙」の権威を認定してどうするのでしょう?

私はPJがライブドアから生まれたことについては、団藤氏と意見を異にしています。確かにライブドアはキワモノ感が強いですが、ライブドアニュースとPJが良い記事を出し続ければ「確かさ」は上昇し、信頼できる報道機関になれると考えています。ロイターは金融市場を持ちながら「報道機関」と認識する人が多く、ライブドアにもそのチャンスがあると思っていました。「南極級の寒さ」と表現しながらも、既存メディアを何らかの形で変えようというチャレンジを評価し、応援したいと思っていました。湯川さんは、『発展途上なので論評を控える』と書いていますが、私は、論評・批判があり、それを受け止め、答えることで人や組織は成長すると思っています。私は以前に共産党宣言をモチーフにした、例の宣言について「ライブドアのパブリック・ジャーナリズム」を書き、文章のわかりにくさやアナクロぶりを指摘しましたが改善される様子はありません。小田氏は、宣言を評価した湯川さんにはコメントをして、宣言やその後の記事の内容、質、PJのあり方を批判した他のブロガーにはほとんどコメントもしていません。最も厳しく批判したと思われる団藤氏に対して「名誉毀損」すら持ち出しています。小田氏は本当にPJの質を向上させる気があるのでしょうか? 批判に耳を傾けねば、良いものはできません。聞く耳を持たない今の姿勢は、打たれ弱く、批判を正面から受け止めようとしない既存メディアの「マスゴミ」記者と同じにしか見えません。

名誉毀損については、『ライブドアが裁判所とこの問題の当事者であるニッポン放送は、ライブドアの同放送株取得は「マネーゲームではない」と認めたのだ』と根拠を示していますが、裁判所が判断したのは時間外取引やフジの対抗策についてで、ライブドアニッポン放送を買ったのが「マネーゲーム」なのか「マネーゲーム以外の目的」なのかを判断してはいないのではないはずです。それに、団藤氏が神奈川新聞のカナロコを絶賛したらジャーナリストの独立性に疑問が生じるのでしょうか? 確かに神奈川と朝日新聞には資本関係がありますが、良いものを評価しているだけだと思います。

みなさんあまり気づいていないかもしれませんが、記事中のリンク「言論江湖」から入ると小田氏は「あとがき、ブログ時評という論理破たん」に、『人を見下す態度と反骨精神とを混同する人格的欠陥をまとった「検閲主義者」には何を言っても無駄だ。まあ、50歳を超えて受賞作どころか、本業で署名記事すら書けない輩の欲求不満の捌け口がブログ時評である』(一部抜粋)などと書いています。これはひどい。私には、個人への誹謗中傷としか受け取れませんでした。このような感情的な誹謗中傷からは何も生まれません。

残念ながら、PJはライブドアという出自ではなく、小田光康なるアナクロ人によって率いられていることで、ジャーナリズムの可能性を絶っていくのかもしれません。

参考・団藤氏の反論「ライブドアPJへ 自ら出発点の欠陥を正すのが先だ」。