ガ島通信

メディアとジャーナリズムの未来を追いかける

特集「ネットと新聞」

韓国のネット新聞・フリーペーパーやアメリカの新聞事情を知っている方から情報をいただきました。ありがとうございます。

早速、新聞研究2005年1月号の特集「ネットと新聞」を読んでみました。特集の原稿は5本。私が注目したのは、日本経済新聞社(慶応大学教授でもある)の坪田知己氏の「柔軟な発想でビジネス再構築を」と、韓国ITジャーナリストの趙章恩氏がオーマイニュースなどについて書いた「積極活用で生き残り図る」です。

坪田氏の記事には、共感するところが多くありました。社会構造や技術が変化しているのを踏まえた上で、自らが日常的に触れ合っている大学生が新聞を読まないことに言及。『専門化・多様化した情報ニーズに新聞は応えられていない。取材源が、行政、警察、企業、有名人なので「型にはまった」情報しか伝えられていない』と指摘しています。さらに、『新聞社がサービスの根幹ともいえる「読者の直接把握」をおろそかにしてきたことが、ビジネス展開の足かせになっている』とも。そして日経の経営陣についても最後に触れています(*「勝負の分かれ目」を読んでいたからよく分かった。これは現体制への批判なのかも?)。


新聞社の経営陣が「紙」のビジネスモデルに頼りきり(社員もその幻想を信じようとしているところが、また寒い)、新しいビジネスモデルを切り開く努力をまったくしてこなかったツケをこれからの人が支払っていかねばならないのでしょう。新聞研究は、経営陣も読んでいる人が多いと思いますが、「自分のこと」を言われていることが理解できる人が何人いるかも、疑問ですが…


さらに、趙氏の記事。日本では「民意を反映した市民メディア」という捕らえ方でオーマイニュースを紹介することが多いですが、趙氏はオーマイニュースがまだ経営的に安定していないことと、メディアの競争が厳しくネットにニュースがあふれて供給が余っているとも書いています。詳しくは小林恭子の英国メディア・ウオッチ「新聞はただの国」が紹介していますので省略しますが、韓国の新聞は「ネットを積極活用せざるを得なくなった」というようにも読めます。


ワシントンポストのFP(Express)は、英語が苦手なので細部まで読み込んではいませんが、内容も社会的ニュースだけでなく、スポーツ、音楽など広範囲にわたっていて、午後6時以降のテレビ欄もあります。「本紙を買わなくてもいい」感じもします。ちょうど前述の新聞研究に、ヨーロッパのFP事情を廣瀬英彦東洋大学名誉教授が書いた「若者をとらえ、都市に浸透」があり、そこに、FPに既存の新聞がどのような対応をしたかが書かれていました。1、排斥 2、対抗的フリーペーパーの発行 3、歓迎 4、共同経営 5、フリーペーパーへの転換 の5分類。ワシントンポストのFPの経営形態が分かりませんが、多分3か4あたりに分類されるのでしょう。Expressがペイしているかどうかが気になるところです。


廣瀬氏はFPの動きなどを「メディア多様化のプロセス」としています。これはネット新聞も同じでしょう。主要なメディアが新聞、テレビ、ラジオ(ラジオはかなり厳しいので、外れるかも?)しかないのが、考えようによっては異常ともいえます。メディアやジャーナリズムを取り巻く技術や社会環境の変化、そして消費者のニーズに対応していくところが生き残る。そんな当たり前のことすら新聞業界は忘れてしまっているのでしょう(最初からなかったという説も…)。


追記(1月14日)ヤースのへんしんさんが1月から試験的に新聞を止めたとのこと。「ほとんど困っていない」ということです。新聞は習慣性のものですから、読んでいるのは「なんとなく」という人が多いのではないでしょうか? 止めるのも「なんとなく嫌」という感じ。購読への強いインセンティブがないから、都市圏での販売合戦(景品を付けるなど)があるということです。このあたりの問題は、マーケティングやデザイン戦略についてはまた書く予定です。