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ガ島通信

メディアとジャーナリズムの未来を追いかける

情報の値段=お布施論 「情報の文明学」梅棹忠夫

日本を代表する知識人(生態学、民族学文化人類学など分野にとらわれない活動をされていた)で国立民族学博物館の初代館長を務めた梅棹忠夫さんが90歳で亡くなりました。お会いしたことも、お見かけしたこともないのですが、その著書には大きな影響を受けています。
情報の文明学 (中公文庫)
訃報を伝える記事で紹介されている「文明の生態史観」も大変興味深いですが、メディアや情報に関心を持っている人なら「情報の文明学中央公論新社)や「知的生産の技術」(岩波新書)はぜひ読んでもらいたい本です。
少し前になりますが、学習院大学での講義「メディアリテラシー −情報の受け手から発信者へ−」前期の参考文献にしたことをブログに書いたところ、毎日新聞の担当者が記事に取り上げてくれています。
ネットの話題:情報産業論(5月26日)

ネットの世界で稼ぐ戦略をまとめた『フリー』(クリス・アンダーソン著、NHK出版)が話題になるなか、ジャーナリストの藤代裕之さんは自身のブログで、梅棹忠夫さんの『情報の文明学』(中公文庫)を本質的な情報論として紹介した。この本の中の「情報産業論」は1962年の論文。情報の価格を「お布施」にたとえ、提供者と受け手の「社会的、経済的な格付け」で決まるとした指摘は、確かに古さを感じさせない。(材)

梅棹氏は情報を受け取る側ではなく、提供する側が金を支払う例として、テレビ広告の広告主、電話や郵便の利用料や設備料を挙げ、農業や工業ではこのような仕組みは原則として存在しないと指摘、『あまりにも日常なことで、だれもおかしいとは思わないが。かんがえてみると奇妙なことである』としています。確かに、自主レーベルを制作しているミュージシャン、自費出版、ブロガーは、しばしばお金を払って情報(コンテンツ)を提供していますし、研究者が発表する学会も参加費が必要です。
『情報は、しばしば提供する側が金を出すのである』『人びとは情報の受信者であるとともに、発信者でもあるのだ。人びとは、みずから情報の発信者になりたがっているのである』『情報氾濫の時代になればなるほど、情報の情報が要求される』。そんな古くて新しい言葉がちりばめられているのが「情報の文明学」です。
知的生産の技術」(岩波新書)は、野外調査の資料整理から生まれた「京大カード」または「京大式カード」について、その使い方と批判などが書かれている、ビジネスハック本の古典のようなもの。
『知的生産の諸技術のなかでも、いちばんやっかいな部分』と言う文章技術については、1)考えをまとめる段階と2)それを実際に文章に書くという二段階から成り立ち、書く前に考えをまとめることが大事(多くの人がすぐに書きたがるものです。スイッチオンPJのワークショップでも「書く前に8割は決まります」と言ってアイデアを構造化しますが、学生などからなぜ書かないのかという不満があがることもあります)、そのためにカードを使った「こざね法」を提唱しています。

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