ガ島通信

メディアとジャーナリズムの未来を追いかける

草磲さん報道に見るマスメディアの病理

SMAP草磲さんの報道には、さまざまなところから疑問の声が上がっています。最も問題なのは、警察の手法をチェックして、疑問を投げかけるのがジャーナリズムの役割のひとつにもかかわらず、発表を鵜呑みに「無責任」に騒いでことにあります。
全裸で意味不明の言葉を発していれば現行犯逮捕は仕方がないところはありますが、問題はその後の家宅捜索です。薬物使用を疑うのは捜査当局としては当然でしょうが、尿検査を行った後でも捜索の判断はできます。草磲さんは警察署に捕まっているので、証拠隠滅の可能性も少ない。にもかからずマスメディアのカメラと記者を引き連れて家宅捜索をしたのはパフォーマンスでしょう(もし、捜索で薬が出たら各社が生中継をするだろうし、劇的な効果が見込める)。続報と絵がほしいマスメディアにとってもありがたかったはずです。
この家宅捜索への反応を各社がどう伝えているか。例えば、毎日新聞は、草なぎ容疑者:「なぜ家宅捜索?」赤坂署の電話鳴り止まずとあくまでファンからの苦情というスタンスで、そこに新聞社の主体性は見られません。産経に至っては赤坂署に抗議電話が殺到で、警察署の幹部(誰なんだ?匿名ではなく名前をかけばいいのに)とジャーナリストの大谷氏のコメントで逮捕と家宅捜索の正当性をアピールする始末です。
捜査・権力は「暴走」する可能性があることから、人権に関わる、身体の拘束、家宅捜索などは、なるべく厳密に扱われるように制度設計されています。それが「なんとなく薬物かも」とか「怪しい」という印象で進められてしまうことは危険です。酔っ払いで意味不明な言葉を話している人は夜の新橋界隈にはたくさんいますし、まかりまちがって裸になれば家宅捜索、裸でなくても「かなり怪しい」ので家宅捜索、と拡大解釈されていく可能性がないとは言えません。個人としてお酒によるマナー違反に寛容な人が多いことは、あまり好きではないのですが、さすがに酔っ払っただけで家宅捜索まで行くことになると、何ともいえない恐ろしさを感じます。

このような雰囲気や空気によって何らかの社会的制裁(当事者にとっては被害)が加えられてしまう原因は、責任が空白となる「共犯関係」が警察とマスメディアに成り立っていることにあります。ブログや日経IT-PLUSのコラムでも書いてきましたが、マスメディアは警察の主張や発表を書いているだけと言うし、警察は大きく報道しているのはマスメディアだとして、誰も責任がない都合の良い状況で「書き得」なのです。何度も事件でメディアスクラム報道被害を出しているのに、相変わらず修正されないこのような警察・事件報道は大きな問題です。

ちょうど、日経IT-PLUSのコラムにネットの出会い系規制に絡んだ警察からの書き込み削除要請について、警察とマスメディアの関係を書いたところですが、これも同じ病理です。

例えば、削除に関して、新聞各社の記事は警察からの情報のみで「警察の要請に基づいて書き込みを削除した」となっているのですが、ネット事業者に確認したところ否定しているのです。真相は分かりませんが、当事者の一方が明確に否定している以上、両論を併記するのが筋というものでしょうが、一方的に警察の話だけで書いている社がいくつもありました。これも警察の話を疑わずに信じているマスメディアの姿勢の現れでしょう。
事業者や団体にいくつも取材しましたが、コラムに書いたように警察の対応やマスメディアの報道姿勢について不安や疑問を投げかる人が何人もいました。警察やとマスメディアがスクラムを組んでいると、企業は反論するとさらにバッシングを受ける可能性があり黙らざるを得ません(ネットで反論は出来るようになりましたが、依然としてリスクが高く、失うものが多すぎます)。草磲さんのように有名でも報道を修正することはなかなか難しいし、これがもし個人だったらどうなるのでしょうか。大きく報道するということは、人の人生や企業の行く末に大きな影響を与えるということでもあるということを、事件のたびに無責任に大騒ぎしているマスメディアの何人が自覚しているのでしょうか…