ガ島通信

メディアとジャーナリズムの未来を追いかける

不祥事で甲子園辞退 本当に「気の毒」なのか?

再開ついでにもう一本。暴力行為と喫煙で、高知代表の明徳義塾が甲子園出場を辞退したというニュース。高田さんのエントリーに絡んでみたい。『個人的には甲子園、甲子園と騒ぐのは、もうそろそろ止めませんか』『(匿名告発を)全く取材する気力は無かった。たぶん、いまそんな告発を受けても、同じ感覚になると思う』などは基本的に同意しますし、甲子園、高校球児の幻想を作り上げたマスコミの功罪について議論もあるでしょう。しかし、根本的なところを見失っているように思えます。
『野球部員に対して気の毒としか言いようがない』というのはどうでしょうか? 朝日新聞によると『同連盟によると、1年生部員に暴力行為をしていたのは2、3年生の先輩部員6人で、このうち3人は甲子園大会にベンチ入りする18人の中に入っていた』ということです。不祥事がずいぶん前のことで、現チームに無関係ならまだしも、暴力行為を行った球児がいたわけですから、責任は部員にもあるでしょう。甲子園のクリーンイメージだとか、教育の一環とか以前の問題として、暴力行為や喫煙はやってはいけないことです。監督は『暴力をふるった部員3人には「君たちのせいではない。責任は部長と監督にある」と話した』(朝日新聞)と話したとのことですが、責任ある立場として生徒をかばう、とりあえずの言葉でしょう。この言葉を本気で部員が受け取ったらそれこそ問題です。高校生にもなって、監督や部長に言われなければ善悪の判断もつかないのでは困りますし、もし判断ができないのなら(まさか、そんなことはないと思いますが)明徳という学校の教育方針自体が問題となるでしょう。

監督の「バレなければいい」という発想は、メディアに追い詰められているのではなく、雪印などと同じ、コンプライアンスのなさの現われでしょう。監督や部員に「野球の強豪校だから、ちょっとぐらいかまわない」というおごった気持ちはなかったのでしょうか(甲子園の取材は直接したことはありませんが、強豪校といわれる学校の部員や野球部関係者と話していると、少しばかり感じることがありました)。隠蔽とその場しのぎの対応が悪循環を生む。これまでに何度も見てきた光景です。不祥事を起こせば、高野連やマスコミにチク(告発)られるのが高校野球。そしてこのような騒ぎになることも分かっているはず。確かにマスコミは騒ぎすぎかもしれませんが、やってはいけないことは、やっぱりいけないのです。