ガ島通信

メディアとジャーナリズムの未来を追いかける

書くことは本当に難しい

日経IT-PLUSのコラム「書くことの難しさ ネットの言論はなぜ質が低いか」に色々な意見を頂いています。整理が十分でない原稿を出してしまったことを反省しています。
はてなブックマークid:yepさんが『論旨の中心は「ネット言論の質」っていうより「ネット "記者" の質」だよなあ/「言論」とひとくくりにしてるけど、なんかいろんなものが混ざってる印象』とコメントしている通りで、ジャーナリストとメディア(媒体)は切り離して考えたいと自身でもブログで書いていたにもかかわらず、今回のコラムでは媒体、ジャーナリスト、を区分出来ておらず、何が言いたいのか見えにくくなっていました。
また、要素としても、既存メディアとネットの言論という状況分析に、CoSTEPでの取り組み、スイッチオンという活動報告が入り混じっています。CoSTEPの受講生には、主役をはっきりとさせ「ラーメンに焼肉定食を食べるような(それは、それでおいしいという話は別として)」文章は駄目だと言ってきたのに恥ずかしい限りです。

POLAR BEAR BLOGには「マスメディアのジャーナリズムを批判する『だけ』はそろそろ終わりにして、ネット上のジャーナリズム自体の改善も図ろうよ」という意見だと理解しました。とフォローしていただいています。記事は発表した時点が全てですが、読者の反応から教えられることも多く、「書くことの難しさ」という題名のコラムを書きながら、自分が書くことの難しさを改めて感じました。

趣旨からすれば、id:kanimasterさんのコメント「既存メディアの質は高い、という前提のご意見」というのは違っていて、正確に言えば、既存メディアはその枠組み(近代啓蒙主義的なジャーナリズム)が古くなっていて劣化しているが、既存メディア内にいる記者のスキルはまだ見るべきものはある、になります(ただし、既存メディアのOJTは、製造業の技術と同様、以前のような効果を生まなくなってきている)。
一方、市民メディアや一部のネットは、ただメディアであるということが目的になっているのではないか、という問題意識も以前からありました。「低くていい」「それがネットだ」という意見は根強くあるようですし、野球を楽しむ人全員がプロ野球を目指すわけではないですが(私はよくサッカーに例えますが)、やり始めると「もう少しうまくなりたい」と思ったりしないでしょうか。

質を上げる(その質は何かという点は確かに議論しなければなりませんが)には、ハードとソフトの両輪が必要です。ジャーナリズムに関しては、ネット以前はある特定の社会人チームに入っていなければサッカーができなかったような状況でしたが、ネットによってプレーすることが出来るようになりました。
次はソフト面ではないかと思います。裾野を広げ、そこで(ヤマハの音楽教室のように)基礎的なスキルを学んでいくことが頂点を高くすることにつながっていくと考えています。多くの方が指摘している編集(目利き、これは人の場合もあるしシステムで出来ることもネットではあるでしょう)は原石を見出すスカウト、ライブハウスのオヤジのようなものでしょうか。
いずれにせよ、皆さんの反応も含めて、改めて書く機会を作って行きたいと思います。
ちなみに、コラムでも触れた「スイッチオンプロジェクト」は今日からスタート。どうなるか分かりませんが、まずは参加している学生の皆さんに、書くことの楽しさと厳しさを知ってもらうところから始めようと思います。