ガ島通信

メディアとジャーナリズムの未来を追いかける

無事に大学院を修了しました

先日、2年間通っていた立教大学21世紀社会デザイン研究科を無事に修了しました。
修士論文のタイトルは「ブログジャーナリズムの社会学的考察-マスメディアジャーナリズムからシチズンジャーナリズムへ-」A Sociological Study on Weblog Journalism :Deterioration of Mass Media, and Transformation into Citizen Journalism 学位は修士(社会デザイン学)です。

社会人大学院ですので講義が夜間と週末にあるなど配慮はありましたが、仕事との両立は時に厳しいときもありました。家族、職場の理解と支援、そして仲間のおかげでなんとか乗り切ることができました。
また、年明けから本格的に書き始めた修士論文が進まず困ってたいたときに助けていただいた皆さん本当にありがとうございました。
大学院ではジャーナリズム研究で知られる門奈直樹教授の下、インターネット(特にブログ)とジャーナリズムの関係を研究テーマにして学びました。普段はあまり取り組むことの無い、頭の中の思考をアウトプットしていくというのは貴重な経験でした。門奈先生からは、テーマに限らずさまざまなアドバイスを頂いたにもかかわらず、仕事の忙しさを言い訳に急ごしらえの論文なってしまいました。
口頭試問では他の先生から「力作でした」との言葉をかけていただけましたが、門奈先生からは「メディア論としてミドルメディアとジャーナリズムにおいてシチズンジャーナリズムという言葉を定義した意欲は買うが関係性が見えずらい」「定義をもっとしっかり」と指摘もあり、課題が残った論文となりました。
引き続き研究を進め、日経IT-PLUSで書いているコラムも合わせて、将来書籍にまとめられれば良いなと思っています。

修士論文の要旨(抜粋)は以下の通りです。

インターネットの登場とウェブサービスの進化は、ブログに代表されるように、誰もが簡単に、不特定多数の人々に情報発信できるサービスを生み出している。これにより、新聞社やテレビ局、出版社といったマスメディアに所属する人だけがジャーナリストではなく、誰もがジャーナリズムを担える「ジャーナリズムの民主化」とも言えるような現象が起きつつあるのではないか、本研究はこのような直感的な疑問から出発し、日本におけるジャーナリズム活動の現状を明らかにするものである。

日本におけるジャーナリズム解釈は、清水幾太郎が「一般大衆に向かって、定期刊行物を通じて、時事的諸問題の報道および解説を提供する活動をジャーナリズムと呼ぶことにする」と定義しているように、主にマスメディアを中心に担われてきたとの考えから「ジャーナリズム=マスメディア」として捉えられることが多い。一方、鶴見俊輔は元来人々の日々の記録であったジャーナリズムが、近代化の過程の中で新聞社や雑誌社などの職業的活動、特権と結びついた活動になったと指摘する。
本研究は、鶴見が言う「人々の日々の記録」「同時代の記録、批評」とのジャーナリズム観に立ち、ブログや掲示板、ソーシャルネットワーキングサービス(SNS)、写真や動画の共有サイトによって生み出されている多様な言論をジャーナリズム活動だと捉え、その代表例としてブログを取り上げ、その特徴をケーススタディで明らかにしていくものである。

グーテンベルクによる印刷技術革命と資本主義が近代を生み出し、日本においてはジャーナリズム=マスメディアの枠組みを作り出したように、インターネットに代表される通信の新たなコミュニケーション技術とグローバル経済は、これまでとは異なるジャーナルリズムの状況を生み出しているとの認識に立ち、1)ブログに代表されるインターネット上に展開するウェブサービスの発達により誰もが情報発信できる状況になったことで、ジャーナリズムは、マスメディアに所属する特権的立場の人々によってのみ担われてきたものから、人々の日々の記録活動という本質に立ち返っている、2)グローバル化の進展による近代と国民国家の弱体化は、啓蒙主義的なジャーナリズム=マスメディアの枠組みを揺るがす一方、自律・分散のネットワーク型の新たなジャーナリズム活動を生み出している、との仮説を立て、これを明らかにするために、メディア(マスメディアとブログ)、社会状況(近代とグローバル化)という二つの軸を用いて考察している。

ケースによって、ネットワーク型ジャーナリズムは、メディアのインフレーションによって成立し、メディアの構造がパーソナル(マイクロ)メディア、ミドルメディア、マスメディアに三層に変化、それらは相互に作用していること、ネットワーク型ジャーナリズムはマスメディアのような「組織」ではなく、「個」が中心となった自律・分散型であり、情報の流通・編集のプロセスは分解されていることを提示、ジャーナリズム=マスメディアの限界性を明らかにする。

本研究の特徴は、メディア社会とも言われる21世紀におけるジャーナリズムの質とメディアリテラシーを向上させる議論の出発点として、ブログによるジャーナリズム活動が日々の記録活動というジャーナリズムの本質を取り戻したことを明らかにすることにより、人々に根強く残るジャーナリズム=マスメディアの枠組みを解体し、新たなネットワーク型ジャーナリズムにおいて、自分のメディアを持った一人ひとりがジャーナリズムを担う「シチズンジャーナリズム」の現状を確認するところにある。