ガ島通信

メディアとジャーナリズムの未来を追いかける

オーマイニュースジャパンの「炎上」と「現状」

8月28日の正式創刊するオーマイニュースジャパンの準備ブログが「炎上」後、迷走し続けています。鳥越編集長は、炎上原因について『戦争を知らない若い世代が、経済発展した韓国に違和感を覚え、過去にあった差別意識を再生産した』(毎日新聞)とステレオタイプな理論を展開。正式版のPRとなるはずの市民記者の記事紹介には、読むに耐えない低レベルな記事やカルトとの関係が疑われる記事が並んでいます。「外」から見る限り、これまでに誕生したJANJANやライブドアPJとの違いは見えてこず、新しさはありません。

炎上のきっかけとなったのはITメディアのインタビュー。『2ちゃんねる2ch)やブログなど、発言の場はたくさんあるが』との岡田記者の問いかけに、鳥越氏は『2chはどちらかというと、ネガティブ情報の方が多い。人間の負の部分のはけ口だから、ゴミためとしてあっても仕方ない。オーマイニュースはゴミためでは困る。日本の社会を良くしたい。日本を変えるための1つの場にしたいという気持ちがある。オーマイニュースも、基本的にはブログとそう変わらない。ただブログは基本的には日記。内容は他愛もないことが多く、社会が変わるような発言は少ない。内容が事実である担保もなく、中身の確認はできない』と答えたことでした。
ネットの世界を少しでも知っていれば、このような発言が物議をかもすこと、さらには完全開放していたオーマイジャパンのコメント欄に書き込みが殺到するぐらいわかるはずです。ネットのカルチャーを熟知し、JANJANや2ちゃんねるも追いかけている岡田記者は、「2ちゃんゴミだめ」発言を鳥越氏から引き出したとき、「これは話題になるな」と思ったはずです。この発言は「ニュース」だったわけですが、ネットの世界に疎い鳥越氏は自身の発言のニュース性、重要性を全く理解してなかったのでしょう。

実は、最初は鳥越発言は、話題づくりなのではないかと思っていました。韓国発のメディアである以上、現状ではある種のレッテルや偏見は避けられないことを考えれば、逆手にとってその手の話題をあえて取り上げ、注目を集めるという作戦です。しかし、『匿名掲示板とか、ブログの存在を全く否定する気はない。彼らはそこで遊んでいればいいし、楽しんでいればいい』(ファクタ阿部重夫編集長ブログ)と連発しているところを見ると「素」の発言なのでしょう。

コメント欄は、鳥越氏の言うところの無責任なものもありましたが、編集部が紹介した市民記者の記事中に宗教・カルトの関係しているような記述があったことを疑問視するコメントへや編集方針への質問などもありました。それらにまともに対応もせず、「差別意識が原因」とレッテルをはってしまえば、良識的なユーザーが離れていっても仕方がないところでしょう(表象的な事象だけを捉えてレッテルをはってしまうことこそ、避けなければならないはず)。『もう完全にネット社会を啓蒙する市民記者様と2ちゃんねらという狭い対立構図でしか眺められないんだろうな、鳥越一味は。』(7月20日)とその後の展開を予想するコメントすらあります。

コメントを市民記者登録者に限った8月1日からは、反戦や部落問題などといった論調が力を持ち始め、コメント欄は、いわゆるプロ市民の方々の「交流の場」となっているようです。このまま行くと、オーマイジャパンはネット版週間金曜日のようなものになるのでしょう。それはそれで、ありかもしれませんが幅広い支持は得られないでしょう。別に、週間金曜日を読めばいいし、わざわざ市民記者というコンセプトを打ち出して新しいメディアを立ち上げるまでもありません。

このような状態になってしまっているのは、編集長と編集部のネットリテラシーの低さ、戦略のなさ、そして編集部員の意識にあると考えられます。

ネット音痴ぶりは、炎上のトリガーとその対応でも明らかで、たぶんほとんどの編集部員がブログやSNSをやったこともないのでしょう。少しばかり本を読んだり、人から話を聞いたところで、既存メディア的な発想はなかなか変わりません。そしてなによりも、オーマイジャパンの市民記者による記事の紹介の仕方を見ていると、多くの市民が既に自分のメディアを持っているというパラダイムのシフトに全く気づいていないという可能性が高い。鳥越氏がブログをあれだけ見下した発言をしていながら、あのような低レベルな市民記者の記事を並べているのは、別にオーマイジャパンに書かなくても、ブログで書けばいいという状況を理解していないからなのでしょう。

そもそも、オーマイニュースは市民記者による、市民記者のメディアのはず。にもかかわらず、市民記者の記事が低レベルなまま放置されているのはなぜか。もしかしたら、編集部員たちは市民記者の記事を、新聞の「読者投稿」ぐらいにしか思っていないのかもしれません。本当に市民のメディアなのであれば、話題が集まる小泉首相の靖国神社参拝問題で、市民記者のさまざまな意見を紹介すればよいはずです。それも韓国の市民の反応も紹介できるという他にない特徴も持っているわけです。にもかかわらず、記者が現場で取材するという手法をとったところを見ると、そのような発想はなかったのでしょう。

オーマイニュースのコンセプトにおける、主役は誰なのか考え直す必要があります。結局のところ、自分たちが既存メディアで発言できなかった問題を抱えて、「オーマイニュースなら書ける」と考えた記者が集まって、反戦、基地問題などを書きたがっていて、市民記者は二の次といったのが現状なのであれば、新しいメディア、そして何よりも「市民皆が記者」は実現しないでしょう。既存メディアの劣化版を作ったところで、意味はありません。スタッフの数、質、取材網、資金面を考えれば勝つことは難しいのですから。