ガ島通信

メディアとジャーナリズムの未来を追いかける

高田昌幸さんが「自由記者クラブ構想」を提案

ニュースの現場で考える」の高田さんが、何かと問題が指摘されている記者クラブの新しいあり方を提案しています。

アメリカのブログジャーナリスト、ダン・ギルモア氏の来日講演の際にも、外国人の方が「記者クラブがあるから日本の市民ジャーナリズムは実現しない」と指摘していました。皆さんも「日本のマスコミの元凶は記者クラブだ」という主張を聞いたことがあるのではないでしょうか。

まず記者クラブとは何ぞや、という部分を押さえておきたいと思います。
日本新聞協会の「記者クラブに関する日本新聞協会編集委員会の見解」(2002年1月)によると

記者クラブは、公的機関などを継続的に取材するジャーナリストたちによって構成される「取材・報道のための自主的な組織」

となっており、記者が作った組織であることを明確に打ち出しており、スペース(記者室と新聞協会は呼んでいる)と分離しています。これは、記者クラブ批判を受けて、編集員会が「作り出した」主張です。

ちなみにスペースにについては

常時利用可能な記者室があり公的機関に近接して継続取材ができることは、公権力の行使をチェックし、秘匿された情報を発掘していく上でも、大いに意味のあることです。

 ここで注意しなければならないのは、取材・報道のための組織である記者クラブとスペースとしての記者室は、別個のものだということです。したがって、記者室を記者クラブ加盟社のみが使う理由はありません。

とご丁寧に注釈を入れて、記者室は誰でも使えるようなことを匂わしているわけですが、現実はそんなことはあり得ません。(一部を除いて)権力もチェックしていないし、公共の財である役所のスペースを占有してふんぞり返っている… 日本は本音と建前の国と言いますが、記者クラブ問題に関しては、特に本音と建前が乖離しまくってます。

ここで、高田さんの提案に戻ります。高田さんの出発点は、文章から推測するに「発表に依存したジャーナリズムの現状をどうにかしたい=その温床としての記者クラブの改善」「市民から幅広く意見を受け入れる場所の確保=情報のハブ」の2つのようです。

それを考えれば、今回の高田さんの提案の具体的な中身が「情報ハブ」に偏りすぎていますし、場所としての記者クラブ=記者室と記者組織としての役割がごっちゃになっているのかなという気がします。誰もが使える情報ハブが必要なのであれば、「場所」なんて必要なのでしょうか?

どうしても、場所があれば「そこへ行く」という行動になりがちです。地方のNGOやジャーナリストが助けを求める際にも東京に行かなきゃならないのでしょうか? 多分、メールやファクスで資料を送ると言うことを想定しているのでしょうが、そうなると受付の人が必要です。東京に広いスペースを借りるとなるとお金もかかります。これでは現行の記者クラブと同じです。単に、取材すべき主体が見えない、遊軍のための記者クラブのようなものでしょう。どうも「マスコミの中の人」の発想から抜け切れていないのではないでしょうか。

せっかくネット時代なのですから、ネットを使ったサイバー記者組織(あえて記者クラブという言葉は使わない)のみで十分ではないでしょうか。連絡したい人は、そこに情報をポスティングするだけで、登録している組織ジャーナリズムの記者や市民記者、NGO、研究者などに一斉にメールされる。また、登録者は、関心のある分野などを一覧にしておいて、取材などを進める際にチームを組む参考にするなどの手法も考えられます。

ともかく、現状の高田さんの自由記者クラブなるもので、2つの改革を同時に実現するのは難しいのではないかと思います(もちろん、提案がたたき台であるということは理解しています)。発表ジャーナリズムに浸りきった記者たちを鍛えなおすことは、新しい形の記者クラブを作ったところで無理でしょう。個人的には、現行の記者クラブは、あまりにハコと組織が混同されているし、色がつきすぎているので、言葉も含めて廃止すべきと考えています。

記者クラブ問題を書き始めると、超大作になってしまいますので、今回はここまで。