ガ島通信

メディアとジャーナリズムの未来を追いかける

「メディア・ビオトープ」水越伸

メディア・ビオトープ―メディアの生態系をデザインする
『インターネットが登場し、さまざまな活動ができる可能性が出てきたのはたしかだろう。しかし、はたしてそれを活用して表現するだけの深い欲望と言うものが、現在の日本社会に存在するのか。今の日本人に、インターネットを用いて社会を変えていこうと言う意気込みがあるのか…』
メディア・ビオトープ―メディアの生態系をデザインする」の著者・水越伸東京大学助教授は、思想家の鶴見俊輔の言葉を引用し、こう続けます。
『なるほどそうだなと甘んじて受け入れようと言う気持ちと、なにをいうかと反発する気持ちがないまぜになった。それまで実践の現場で味わった深い絶望感と、数多くのメディア表現者たちのひたむきな姿に見出せる可能性の両方が、同時に思い出されたのだ… 年寄りのペシミズムには、若気の至りで突っかかっていってあげるのが礼儀というものだろう。僕は鶴見俊輔の挑発に乗らなければならないと思った。真顔でその挑発に乗り、真正面からこの問題に取り組まなければならないと思った』と。
詳しくは、ぜひ本を読んでもらいたいのですが、水越氏は現在のマスメディアを「55年体制=人工杉の林」と定義します。そして『マスメディア内で自家中毒が起こり、やらせやスキャンダルが頻発し… 杉林がきちんと管理されずに荒れ果て、花粉症を撒き散らし、問題視されていることに良く似た様相を、マスメディアの杉林も呈するようになってきた…』と指摘する一方、情報の受け手側にも『受け手はお客としてふんぞり返り… わがままばかり言うようになる。送り手がなにかの問題を起こせば、そら見たことかと言わんばかりにマスメディアを批判する』と厳しい言葉を投げかけます。
インターネットでもマスメディア批判はよく見られますが、それも人工杉の林の中で起きている中毒なのかもしれません。ブログやSNSの時代になって批判している受け手も情報の送り手になっているにもかかわらず、依然として他人事のようにマスメディアを批判する人たちもいますが、それは自分事になっています。批判は自分に帰ってくる。マスメディアがおかしい、問題があると思えば、自ら林の中に分け入り、関わっていかねばなりません。
水越氏は、人々のコミュニケーションを豊かにして、ネットワーク化していくメディア・ビオトープをゆっくりと立ち上げていくことを提案します。『それは生物のビオトープ同様、大変難しい営みだろう。つまらないケーブルテレビ、人の集まらないイベント、利権がらみの地域おこし。そうしたものにまみれながら、しかし希望を失わずにゆっくりとビオトープを育んでいく。そんな覚悟が必要となってくるのだ』。
ブログも小さなコミュニティを持つメディア・ビオトープかもしれません。鑑賞するためのものではなく、自ら情報発信し、人たちがどこからともなくやってきて「遊び方」や「マナー」のアドバイスをしてくれます。メディアの未来を自分たちの手でデザインするために、ブロガーにとっても勇気をもらえる一冊です。