ガ島通信

メディアとジャーナリズムの未来を追いかける

当事者が発信できる時代、ジャーナリストの役割は「共に言葉を探す」こと(ローカルジャーナリズム論 2019)

2019年度の法政大学社会学部の集中・寄付講義「ローカルジャーナリズム論」が無事に終了しました。地域に向き合い伝えることに取り組む人たちが織り成す濃密な3日間で、企画・担当教員としてヘトヘトになりながらも大きな手応えを感じました。講師の皆さんが何を語ったのかは、西日本新聞の下記記事が伝えてくれていますので、ここでは後半大きな議論となった、 地域発信の当事者とは誰か、ジャーナリストの役割とは何か、について記録をしておきたいと思います。

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地域の発信、東京の学生に関係あるの?

講義のスタートは、ローカルジャーナリストとして活躍する田中輝美さんから。次に沖縄タイムスの與那覇里子さん、高知新聞の川戸未知さんと続きます。いずれも、地域に密着した取り組みで、特に川戸さんの南海トラフ地震に向けた防災プロジェクト「いのぐ」は、記者だけでなく事業・企画の担当も伝えることに関われる新聞の仕事を学生に紹介できたことは大きな収穫でした。

ただ、1日目を終えて「東京の学生に関係あるの?」という微妙な空気もありました。この講義を作った最大の理由は、法政大学の地方出身学生が3割しかいないことです。いくら面白い事例でも、島根、沖縄、高知と続くとさすがに学生に縁遠く感じたのでしょう。夜に講師で相談し、2日目に博報堂ケトルの日野昌暢さんが、東京からも福岡、高崎での発信に関われるという事例を紹介してくれました。

どんなに迫っても当事者にはなれない

ソーシャルメディアの普及により、当事者自身が発信できるようになりました。東京からは地域発信の当事者になれないのではないか。このような当事者問題は、地域に限らず、災害の被災者や事件の被害者にも当てはまる、ソーシャルメディア時代の大きなテーマです。なぜ、第三者であるジャーナリストが必要なのか?

この問題を正面から問うたのがノンフィクションライターの石戸諭さんでした。例えば、広島の原爆被害を書くとして、最大の当事者は被爆して亡くなっている。次は生き延びた人の手記がある。どんなに迫っても当事者にはなれない。東日本大震災津波被害も同じような構造を持つ、にもかかわらず、これまでジャーナリズムは、当事者に近づこうとしていなかったかと疑問を呈します。

「ジャーナリズムは反権力である」といった社会的役割の原則論ではなく、現場のジャーナリストが直面する結論がない問題をどう考えていくのか、学生の顔にも困惑の表情が浮かびます。石戸さんは、ニュージャーナリズムの手法などを紹介しながら、出来事に直面した人の気持ち、想いを大切にし、「代弁者でも、寄りそうでもなく、共に言葉を探す作業なのではないか」と投げかけました。

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取材先から思いを託され、言葉にする

この石戸さんの投げかけを引き取ったのが、中国新聞で原爆・平和報道を担当する明知隼二さんでした。3日目の講義で「自分の違和感をもう一度考えて整理してみた」と切り出した明知さん。

被爆者であることは家族や恋人にすら知られたくないというセンシティブな状況がある中で、これまで誰にも明かしたことがない話を託されて記事を書いたという具体的なエピソードから、「取材は、他人の人生に手を突っ込む行為でもある。それに悩みながらも記事にすることは、石戸さんが言う、代弁者でも寄りそうでもなく、共に言葉を探す作業なのではないか」と語りました。

ひとりの被爆者が抱えていた話を社会とつなぐことで、少しばかりその人の心の荷が下り、生きる意味を問い直すことが出来る。その際に、原爆・平和取材の積み重なりで生まれた表象が時に課題となる。表象と結びついた紋切り型の表現は分かりやすいが、共に言葉を探すとすれば、そこから逃れることも大事ではないか。

教室の空気がぐーっと深まり、学生の顔が引き締まっていきます。表現の恐ろしさ、もどかしさに悩みながら、それでもジャーナリストを続けるのは、取材相手から思いを託され、言葉にして、社会に残す役割がある。そんなジャーナリストたちが刺激し合い、学生に語る言葉が紡ぎ出される音楽のセッションのような瞬間に立ち会えて幸せでした。

講師のほうが朝から晩まで議論漬け

「ローカルジャーナリズム論」には、北海道から沖縄まで、ローカルジャーナリズムに関わる講師が集まったので、夜は多摩キャンパスにある大学の宿泊施設で交流を行いました。集中講義が終わり、そこから夜遅くまで、取材手法の話や記事の書き方、ローカルメディアの課題まで、幅広い議論が行われる「研修」となっていました。新たなプロジェクトのアイデアも出ていました。むしろ講師のほうが、朝から晩まで議論漬けだったかもしれません。

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初めての取り組みにもかかわらず、快く寄付を頂いた企業の皆さま、いろいろとサポート頂いた大学の事務課・執行部の皆さまなど、多くの関係者の力を借りて「ローカルジャーナリズム論」を実現することが出来ました。改めてお礼を申し上げます。

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