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ガ島通信

メディアとジャーナリズムの未来を追いかける

複眼力を鍛える 「ニュースを切り取る」ワークショップ

media literacy

「コップに水が半分しか入っていないのか、半分も入っているのか」。同じことが視点を変えると別の見方が出来るという例です。メディアリテラシーにとって多様な視点で考えられる「複眼力」を持つことは重要です。

学習院大学法学部政治学科の講義「メディアリテラシー -ネット時代の情報発信力-」の後期は3、4年生を対象にして30-40名の規模となりました。なるべく議論を交わす方針で進めていて、今回は初めてのワークショップを行いました。
講義では「普通」「みんな」「当たり前」「常識」といったキーワードを疑うように話しますが、話を聞きけば頭で理解できますが、自身の「当たり前」が揺さぶられなければ実感することは難しいものです。このワークショップでは、意見が「正しい」か「間違っているか」を一旦置き、いかに多くの視点を出し合えるかを工夫します。仮に自分の意見と違っていても反論する場所ではないことも伝えました。
多様な意見に気付く、複眼力を持つという話は多くありますが、その前提として自分の「当たり前」を疑えるかがあります。
3-4人のグループとなり、自分の興味があるニュースを持参し、なぜ興味を持ったかを説明、他のメンバーはなるべく別の視点から意見を述べます。
比較的おとなしそうに見える学習院の生徒も、ワークショップが始まると積極的に取り組んでくれました。
フィードバックシートには「自分の発想が普段より柔軟になった」「視野が広がった」「自分がまったく気付かない意見があって驚いた」「知識がなければ意見が言えない」「すごくニュースが面白くなる」というコメントだけでなく、楽しかった、やってみて良かったというコメントがありました。
その上でフィードバックシートにあった興味深い意見として

いわゆる「普通」の意見というのはつまらない。だからこそ新しい視点の意見やとんでもない考え方が輝いて見えたりするのだ、と。にもかかわらず、新しい、珍しい意見に期待しているのに、社会のほとんどは「普通」で支配されているのはなぜだろう。

過去の記憶の蓄積によってニュースを知ったときの反応が作用される。
古い情報に元づく「見方」を作っているのもメディア。

ニュースの発信者の思惑もある。
分析時に必要なのはニュースとなった対象者の事情と読み手、書き手の背景。
自分が何を大切にしているかで意見が違う。

グループワークで「自分の意見」として発表したものが、実は他の人の意見を用いてるだけにすぎないのではないか。何かの影響を受けているのか。十分に考えなければならない。

などがありました。学生にもそれぞれの気付きがあったようです。
メディアリテラシーの講義をやることになったときに、新聞を読み比べるといったいわば古いメディアリテラシーに陥らないようにするにはどうしたらいいかを考えました。「新聞を読めば良い」といった結論ありきは、新聞そのものを疑うという視点が欠けています(ただ、最近では学生が新聞やテレビが信用できないと決めつけている場合もありますが…)。
複眼力は、メディアリテラシーに限らずさまざまな場面で使えます。自分と異なる意見があったとき、怒ったり、説得したりするのではなく、「なぜこの人は自分と違う意見を述べているのだろう」と思うことで、トレーニングすることが可能です。

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