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ガ島通信

メディアとジャーナリズムの未来を追いかける

日経IT-PLUSの連載「ガ島流ネット社会学」が終了、皆様ありがとうございました

日経IT-PLUS「ガ島流ネット社会学」が、3月12日の「市民メディア」の失敗をマスメディアは教訓にできるかで最終回となりました。日経新聞の電子版創刊に伴うもので、コラムはタイトルやコンセプトが少し変更になり再開予定です。
一旦終了の話は聞いていたのですが、原稿を送った後に「これで最後になります」とメールがあり気付いたのですが、結果的には最後らしい記事だったかもしれません。2006年からスタートして月2回、トータル約90回になりました。スタート時に考えていたよりはずいぶん長く続いたのは、読者、編集者、取材先と多くの皆様が支えて頂いたおかげです。本当にありがとうございました。
テーマは自由に書くことができたので、発散的ではありましたが、ネットとマスメディアやジャーナリズムについて問題提起もすることが出来ました。これまでに書いた記事のいくつかを紹介しておきます。

連載1回目の記事は、ある新聞社に寄稿しようと書いたものでした。

2回目には、最近では使う人も多くなってきた「ミドルメディア」の概念を初めて提示。当時はネットはフラットだとかマスメディアは消える、といった議論が盛り上がっていたので、ミドルメディアは一部から批判もあったことを思うと感慨深いです。情報やメディアは増えていますが、人の時間は有限であり、時間を奪い合う競争はさらに激しくなっていくでしょう。

ネットで生まれるニュース系メディア、GIGAZIN、CBニュース、ライブドアITmediaの取り組みも「変化するニュースメディアの生態系」という枠を作って紹介しました。新たな動きに対して既存のマスメディアの認識は、2008年にオーニュースの失敗を分析したところからほとんど進んでいないように思えます。その問題意識が最終回のコラムにつながっています。

ジャーナリズムの変化も大きなテーマでした。何故、社会部に代表される、紋切り型の報道、「反権力」といったスタンスが批判されるのか。そこには中央集権的な近代構造に寄りかかった古いパラダイムが根深く横たわっています。オーマイの失敗とも重複しますが、技術やマーケティングだけでなく、コンテンツを作り出す際の問題意識を変えていかねば変化に対応できないかもしれません。

2008年の春に盛り上がったネット規制についても、キャンペーン的に展開させてもらいました。推進派の政治家、反対している高校PTAの会長、さらにネット側の問題も書きました。ブログ中傷、非実在青少年規制とテーマを変え、規制強化の動きが続いていますが、既存のマスメディアは、表現の自由という重要問題がが絡んでいるにも関わらず、ネットやアニメ、ゲームとなると反応が鈍くなり、推進側に回る社すら出てきます。警察や行政側から出る情報を大きく扱う「官製ジャーナリズム」も背景にあります。

Ustやニコ生、ツイッターの普及によって「生中継」が注目されていますが、秋葉原事件は多くの示唆を与えてくれます。犯人逮捕の瞬間の写真は誰かが携帯電話のカメラで撮ったものでしたし、生中継したネットユーザーが批判されることもありました。誰もが情報発信できるようになり、メディアを持った個人が、マスメディアが行ってきたような「正義」を振りかざし、罪が司法によって確定する前に社会的な制裁を行う=私刑化しているのではないか、事件の半年前に指摘したことが実際に起きることになりました。

最後に…徳島新聞時代の取り組みが紹介できたのも思い出深いものがありました。

コラム全体を通じて何度も書いており、この記事でも紹介しているのですが、読者やユーザーを良く見て(マーケティングや顧客データという言葉は聞くようになりましたが、相変わらず読者が不在のことが多い)、自分たちのプロダクトとの接点を見つけていく、新しい価値を創造し、提供ていくことが、メディアにも求められていくことになるでしょう。それを苦しく不透明な時代と悩むか、刺激的で面白い時代と思うかで、ずいぶん変わってきます。また、大きな変化の中でも、本質的なことは意外に変わらないものです。変わるもの、変わらないものは何か、引き続き追い続けていきますので、よろしくお願いいたします。