ガ島通信

メディアとジャーナリズムの未来を追いかける

ネット無料文化は終わるのか「情報革命バブルの崩壊」山本一郎

情報革命バブルの崩壊 (文春新書)
切込隊長の新刊「情報革命バブルの崩壊」。帯には「ネット社会」「ネット広告」は泡(バブル)だった!、近未来予測「ネット無料文化は終わる」の緑の文字。第一章「本当に、新聞はネットに読者を奪われたのか?」、第二章「ネット空間はいつから貧民の楽園に成り下がってしまったのか?」というタイトルを見て、読まないわけにはいきません。
「そもそも新聞は読まれていたのか」という問題意識は、私が若者紙面のリニューアル(参考・「若者の新聞離れ」徳島新聞で試みた「若者のコミュニケーションの中心」目指す紙面改革)をしたときと同じですし、「再販制度維持には熱心なのに、ネットに(記事を)ばら撒きしていて収益が回復するはずがない」「記事の編成そのものに課題がある」「論調は読者からすれば興味がない」「新聞関係者は構造不況業種と認めたがらない」「新聞社は読者の顔を知らない」などは、実感としても同意できるものです。
2005年に開かれたある会合で「新聞社はネットから記事を引き上げなければ、数年以内にヤフーに無血開城する社が出るだろう」と予測したのですが、実際に毎日新聞が広告ネットワークを依存するという形で軍門に下りました。また、つい最近ある新聞社の幹部と話した際には「いまお金を出してくれている紙の読者のことをもっと考えたらどうか」と言うと不思議な顔をしていました。

新聞業界は変化からニ、三周遅れているため、いまさら「ネット進出」の大号令(大挙してGoogleを視察するそう)がかかっているようですが、隊長が言う「日常的にどのようなものに関心を持ち、なんにお金を払おうとしているのかをつぶさに観察し、それに沿ってパッケージを置き換えたりメディアを作り上げたりする活動がまず必要になる」ということは考えているように思えません。
新聞の強みは確かにあるけれど、変化に対応することを考えると、近代啓蒙主義の枠組みにとらわれている記事(参考・こんにゃくゼリー規制論にネットはなぜ反発するかマスコミはなぜコミュニケーションの中心から消えたのか)の見直し、紙の質や大きさ、朝刊・夕刊という時間区分、さらに言えば毎日配るべきか、など「新聞の常識」を壊して、ゼロベースで作り変えていく必要に迫られますが、そうなれば記者の意識や印刷や販売部門のあり方、給与など、面倒なことに手をつけなければならないため、「ネットが悪い(ネット進出したら何とかなるというのも同じこと)」ということにしておくのが楽なのです。
本質的な問題に切り込まずに、ネットは敵→ネット進出とレミングのような思考停止の判断しかできない新聞経営者やアクセス至上主義というダークサイドに堕ちているウェブ担当者がいる限り、ネット無料文化は終わらない気もします…

【関連エントリー】