ガ島通信

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グルジア紀行(3)いよいよ軍用道路へ

グルジア紀行(2)トビリシ市内からの続き

いよいよ「グルジア軍用道路」に向かいます。旅行代理店にお願いしてチャーターしていた車でトビリシを出発です。車はオペル・オメガのワゴンだったので、車内も広くゆったりしていました。ドライバー氏はロシア語と簡単な英語を話せます。

まず立ち寄ったのは「ジュヴァリ(十字架)大聖堂」。トビリシから車で20〜30分ほどです。
グルジアの古都ムツヘタの街を見下ろす山の上、クラ川とアラグウィ川の合流地点という戦略上重要な地点に建っています。軍用道路はアラグウィ川に沿って大カフカスコーカサス)山脈に向かっていくので、ムツヘタは軍用道路の入り口でもあります。
ジュヴァリ大聖堂はグルジア初期の教会建築を代表する6世紀のもの。ポツンと質素な教会が建っている風景は、なかなか感動的です。
ジュヴァリ大聖堂から見下ろしたムツヘタの街。

ガイドブックには、ジュヴァリ大聖堂までのアクセスについて「山を登って所要1.5時間ほど(5キロ)。崖道で斜面も急なので、服装や靴には注意が必要」とありましたが、結構標高も高く、民家も見当たらないので、トビリシから車をチャーターするか、ムツヘタまでバスやマルシュルートカ(乗り合いバス)で向かい、ムツヘタからタクシーを利用するのが無難だと思います。

山を下ってムツヘタに向かいます。ムツヘタは、紀元前には古代イベリア王国の都があり、4世紀から12世紀まではグルジア正教の総本山があった街で、教会などは世界遺産に登録されています。
写真は壁に囲まれた「スヴェティ・ツホヴェリ(生命の柱)大聖堂」。グルジアで最大の古代建築で、内部は壁画があり、この建物で国王の即位式や葬儀が行われていたそうです。

ムツヘタには「サムタヴロ教会」や「ムツヘタ博物館」もあります。小ぢんまりとした街なので歩いてまわっても1時間もかからないほど、世界遺産に登録されたためか、街は整備が進んでいるようです。スヴェティ・ツホヴェリ(生命の柱)大聖堂の近くには、駐車場、土産物屋、インフォメーションもあります。インフォメーションにはグルジアの日本語パンフレットがあり、スタッフの女性は英語も話せます。観光地として売り出していこうという気合を感じます。

ちなみにグルジアのパンフレットには、アメリカの開発庁であるUSAIDが制作をサポートしているとの表記があったのに驚き。ロシアとアメリカの間で揺れるグルジアですが、アメリカの世界戦略の一端とその幅広さを見た気がしました。

ムツヘタを出て、アラグウィ川沿いの軍用道路をひた走ります。トビリシの水道水も供給しているというジンヴァリダムを通り過ぎると「アナヌリ教会」があります。
このあたりから、だんだん雲行きが怪しくなってきます。



軍用道路を進むにつれて天候が悪くなり大粒の雨が降り出しました。標高が上がり始め、スキーリゾートとしても知られているグダウリを過ぎると霧のようになり、殆ど見えなくなりました..






なんとか2000メートルを超えるジュヴァリ峠に到着。










軍用道路は舗装がところどころ無く、じゃり道です。天気は悪いですが、グルジア側最後の街・カズベギに向けて車は進みます。








カズベギに到着したときには土砂降りになっていました。晴れていれば見えるはずの5033メートルのカズベギ山もまったく見えません。
ロシアとの関係が悪化、北カフカスコーカサス)の情勢が不安定なことから、国境が閉鎖されていることからカズベギの街もどことなく活気が無いようです。軍用道路の観光客とトレッキング客が訪れるとのこと。

カズベギの広場にあるレストラン(上の写真の中央にある白い小さな建物)で遅い昼食となりました。
電気も消えてお店の人もあまり作りたくないといった雰囲気でしたが、ドライバーの交渉により、どうにか食事を出してもらえることに。
焼きたてのパンと焼肉(多分羊の肉)です。肉は串焼き(ムツヴァディと呼ぶ。他の地域ではシャシリク)として出されることも多く、辛いソース・トゥケマリをかけて食べます。ニンニクと一緒に肉を焼いているからか、トゥケマリが効いているからか、臭みも感じず、歯ごたえのある肉を楽しみました。

カズベキからとりあえず宿泊するグダウリに戻ります。天候が悪かったので、軍用道路に再挑戦することも含めてドライバーと話し合い、翌日の天候回復を待つことにしました。