ガ島通信

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グルジア紀行(1)日本からトビリシへの道

遅い夏休みを利用して、シルクロード上にあるグルジアに行ってきました。黒海沿岸でアジアとヨーロッパの中間に位置しています。旅の目玉は「軍用道路」です。

軍用道路は、帝政ロシア時代に整備されたグルジアの首都・トビリシから大カフカスコーカサス)山脈を越えてロシア・北オセチア・アラニア共和国の首都ウラジカフカスまで続く200キロの道。雄大なカフカスの風景が見所です。軍用道路の基点でもあり、町全体がユネスコの世界遺産に登録されているムツヘタやスターリンの生まれ故郷ゴリ、首都のトビリシにも行ってきました。
グルジアは、旅行好きの間では最近人気が高まっているチェコやクロアチアといった旧東側諸国の「次に来る国」と言われながらなかなかブレイクしていません。1991年にソ連崩壊にともなって独立しましたが、国内の自治州との紛争、ロシアとの関係悪化、チェチェン紛争の影響などがあり、コーカサスは危険な地域というイメージがあること(最近では比較的安定しているようですが)、通用する言葉がグルジア語とロシア語に限られることなどが、ネックになっているようです。実際、英語での併記もほとんどなく、一緒に行ったロシア語のできる知人がいなければ自由旅行は困難だったと思います。
シルクロード 中央ユーラシアの国々地球の歩き方は情報が少ないため、旅行人ノートの「シルクロード 中央ユーラシアの国々」を持参しました。あとはロンリープラネットで補足です。

バックパッカーは鉄道やバスでトビリシに入り、マルシュルートカと呼ばれる乗り合いバスやタクシーをチャーターして軍用道路を目指すようですが、サラリーマンで休みが限られていることや現地の交渉が面倒(バックパッカーであれば、これが一番の楽しみ)、トラブルを避けてスムーズな旅行を進めるため、ネットで探したロシア関係に強そうなJIC旅行センターに航空券を含めた手配をお願いしました。こちらの日程変更、ヨーロッパへの飛行機の混雑、現地のホテルの混雑があり、すべての手配が完了したのは旅行出発予定日の前々日。ギリギリでした。

トビリシへは、モスクワ経由が便利そうなのですが、ロシアとの関係が悪化していることもあり定期便は運休中。オーストリア、ドイツ、トルコ、さらにはウズベキスタンタシュケント経由から、今回はウィーン経由のオーストリア航空を選びました。スケジュールは以下の通り。

成田(10:55)→ウィーン(16:05) オーストリア航空OS052
ウィーン(22:25)→トビリシ(3:50) オーストリア航空OS653

ウィーンまでは12時間。これを聞いただけで嫌な気分になります。体が大きいのでエコノミークラスのシートだと非常に厳しい上に、事前の旅行代理店の話によると飛行機は満席。オーストリア航空の機材はボーイング777-200で、エコノミークラスは3-4-3(後部では2-4-2になる)のシート配置。成田のカウンターでチェックインする際に通路側が残ってい地上職員が手続きしようとしたところタッチの差で押えられず、結局窓際になってしまいました。これは厳しかった…

ちなみに機内での楽しみといえば食事。写真のものは、サーモンの鉄板焼きというメニューでガーリックソースでまあまあといったところ。オーストリア航空の食事のオススメは、パンが焼きたて(温めなおし?)なこと。種類がいくつかあり選ぶこともできます。コーヒーはウィーン行きにもかかわらず粉っぽいのが残念でした。

ウィーンには1時間早く着いたので、気分転換のために街に出ることに。ウィーン空港から中心部のミッテ駅まではCATと呼ばれる「空港快速」で16分。ミッテ駅から徒歩でシュテファン大聖堂まで歩き、レストランでウィンナーシュニツェルを食べて空港に戻りました。
空港に着くとスカートを巻き、歌っている騒がしい男たちがカフェでビールをがぶ飲みしていました。そしてトビリシ行きの飛行機の搭乗エリアに並んでいます。どうやら、サッカーのEUROの予選、スコットランドvsグルジアトビリシで行われるようです。これが飛行機とホテル混雑の原因でした。飛行機は当然満席。現地時間午前4時、スコットランドサポーターと共にトビリシ空港に到着しました。

空港は近代的で1年ほど前に建設されたそう。出口には旅行代理店が手配してくれたドライバーが待っていましたが、駐車場から出るのに一苦労。4人も職員がいるのに一つかゲートがオープンしていません。のんびりしているのはいいけれど、結局宿に到着してベッドに横になれたのは午前5時を過ぎていました。
それにしてもなぜこんな変な時間に…。知人の話では旧ソ連圏では結構ある話しらしく、24時間都市を動かしたほうが効率的に生産できるという考えの残りではないかとのこと。ちなみに空港からトビリシ市内までのアクセスはタクシーだけのようでした。