ガ島通信

メディアとジャーナリズムの未来を追いかける

北海道新聞による記者処分と毎日新聞の記事

例の稲葉事件に関わる記事で、北海道新聞社が記者や編集局長らを処分したそうです(北海道新聞HPより)

北海道新聞社は三十一日、道警と函館税関による「泳がせ捜査失敗疑惑」を報じた記事をめぐって一月十四日に「おわび」を掲載した問題で、新蔵博雅常務・編集局長の役員報酬(月額)を三十分の一、一カ月減給するなど、合わせて七人の処分を決めた。

 編集局長以外の処分は編集局総務(当時の報道本部長)と編集局次長(外勤担当)が減給(日額二分の一)。紙面化に携わった当時の報道本部の部次長、記者計三人をけん責、当時の編集本部委員一人を戒告とした。

北海道新聞、道警と手打ちか?問われるジャーナリズムで、ほぼ言いたいことは書きました。このような処分は、新聞ジャーナリズム(なんてのがあるのだとすれば)の自殺と言えるでしょう。

これに対し、毎日新聞が北海道で下記のような記事を掲載しています。
指摘しておきたいことは、道警の公式文書が本当なのか疑わしいと言う視点が微塵もないことです(裏金問題にしても、道警は長い間「公式」には認めていなかったのは一言も書かれていない)。個人的には毎日をジャーナリズムの側面では評価していただけに(むろんこの一件だけで評価が決まるわけではないのですが…)残念でなりません。

北海道新聞:道警の公式見解取材せず記事に 疑惑浮上

道警などが「泳がせ捜査」に失敗し、覚せい剤などが大量に流入した疑いがあると報じた北海道新聞の記事の中で、事実関係を否定したとされる道警の部署などを同社が「取材源の秘匿」を理由に明示できていないことが31日、毎日新聞に開示された道警の公文書で分かった。道警の公式見解を取材せずに記事が作られた疑いが浮上した。

開示されたのは、この記事をめぐり、道警が同社に出した質問状と再質問状、記事の訂正と謝罪要求、同社から道警への回答書2点。

昨年3月13日の同記事によると、「道警は事実関係を否定し」とある。道警は「事実関係を否定した道警とは、どこの部署の誰に確認した結果なのか」と質問。同社は回答書で「しかるべき立場にある道警本部幹部に取材した」とした上で、「取材源の秘匿」を理由に具体的な立場などの明示を拒否した。

道警は再質問状で、誰に確認したのかを明らかにするよう改めて求めたが、同社は「弊社にコメントしただけで道警本部内での立場が悪くなることが予想される」との理由で取材先の明示を重ねて拒否した。

これに対し、道警広報課は「(薬物捜査を主管する)生活安全部の捜査員、幹部らに確認したが、道新から事実確認をされた者はいなかった。仮に事実関係を否定した道警幹部がいたにしても、その幹部の立場が悪くなるわけがなく、取材源の秘匿とは次元を異にする」と話している。【内藤陽】

 ◇公式見解を求めるのは取材の常道=解説

 北海道新聞社が道警に提出した回答書で、「泳がせ捜査の失敗」などの事実関係を否定した「しかるべき立場にある道警本部幹部」を「取材源の秘匿」を理由に明示できないのは取材の常識からみて不自然さがぬぐえない。

同社が証言を得たという「複数の当時の捜査関係者」を「取材源の秘匿」を理由に明かさないことは理解できる。しかし、「捜査関係者」から集めたとされる証言を道警幹部にぶつけ、組織としての公式見解を求めるのは取材の常道だろう。

同社が道警の公式見解を求めた相手を明示できない理由を「取材源の秘匿」に求めたことについて、道警の「次元を異にする」との指摘の方が報道に携わる立場からみれば説得力がある。

同社が14日の朝刊に掲載した「おわび」はこの件には全く触れていない。取材した事実に基づいて道警の公式見解を求めたのか、求めなかったのか、読者への説明責任が求められる。【内藤陽】