ガ島通信

メディアとジャーナリズムの未来を追いかける

ネットメディアは無免許運転の暴走車なのかもしれない

ネットメディアは無免許運転の暴走車のようなものかもしれないと、最近ぼんやり考えています。頭の中が整理されているわけではなく、ネットメディアの中の人や、アルファな人たちのブログのエントリーを見ていると、なんとなく「感じる」という程度です。踊る新聞屋さんが「IT企業の非公共性が中国的ネット社会をもたらす可能性はないか、というメモ〜googlezon、最良の、そして最悪の時代」とのエントリーは根底に私と同じような「違和感」というか「危機感」を持ったものではないかと思いました(違っていたらごめんなさい)。

日本ビデオニュースがオーバチュアを提訴した件を取り上げているのですが、まずその提訴に関する共同通信の記事は下記の通りです。

インターネットで特定の用語を検索するとサイトのスポンサー欄に宣伝文などが掲載される「検索連動型広告」に掲載拒否されたのは不当だとして、ニュースサイト運営会社日本ビデオニュース(東京)が、広告を運営するオーバーチュア(同)に広告掲載と約3900万円の損害賠償を求める訴訟を26日、東京地裁に起こした。
訴状によると、日本ビデオニュースは今年3月にオーバーチュアのシステムに登録したが、「靖国参拝」などのキーワードに連動する広告掲載が相次いで拒否された。7月以降は「特定の組織、団体への批判が、記事内容などに含まれる」として、すべての掲載が拒否されているという。
同日記者会見した日本ビデオニュース神保哲生社長は「連動型広告を使えないのはネット企業には死活問題になりかねない。批判が拒否理由なら、表現の自由を制限することにつながる」と主張した。

経緯は、神保さんのブログ「ビデオニュースがオーバーチュアを提訴」にも詳しいのですが、そのブログのコメント欄に興味深い投稿が入っています。ヤフーはフィルターをかけているのでグーグルがいいという内容です。私は以前のエントリー「Googleという帝国。「ザ・サーチ」ジョン・バッテルを読んで」で

グーグルのモットーは『邪悪にならない』だということです。本当にグーグルは「邪悪」なのでしょうか? この本を読むだけでははっきりしませんが、疑問はぬぐえません。検索結果は「グーグルの手の中」であり、結果についてグーグルが意図的に組み替えていたとしてもユーザーはほとんど気付くことができないでしょう。データベースを作っているだけ、中立な立場でコンテンツを仲介しているだけだとしても、それは新たな「情報」帝国であり、ビッグブラザーへの不安は消えません。

と、書いたわけですが、残念ながらコメント欄に書き込んだ人にはそのような視点はないようです。神保さんの行動が「ヤフー批判」にしか見えておらず、本質的な部分が伝わっていないのかもしれません。どうして、そのようなことが起きるのか。単純に、ネットユーザーのリテラシーが、という話では終わらないのではないかと言うのが、最近の私の思いです。ですから、神保さんの訴えの本質的な部分、危機感のようなものは、「提訴」という形では伝わらないのではないかと…

踊る新聞屋さんは

さて、すべてのネットユーザーはそろそろ、サイバー社会の公共性を考える時期に来ている。政治体制を問わず、為政者は常に、言論・表現・報道の自由を規制したがるものだし、表現者の行動を監視したくなる衝動に駆られているのだから。

と書いていますが、それはメディアのパワーと危険性をある程度理解している私には伝わりますが、果たしてネットメディアにかかわる人たちやエンジニアには伝わるのか、疑問があります。「ザ・サーチ グーグルが世界を変えた」を読めば理解できると思いますが、グーグルの検索結果で誰かが傷つこうとも、彼らは「どうってことない」と思っている。ある種、既存メディア界に存在している「原罪感」はありません。「私たちはメディアパワーを持ちたいと思ってやっているわけではありませんから」と真顔で発言したりします。ある種「無邪気な善意」がネットの世界を覆っているのです。彼らは無免許の運転者ですが、それは善意ゆえに、その危険性を伝えることは困難が伴います。

しかし、現実はそうはいきません。好むと好まざるとにかかわらず、メディア化することはパワーを持つことを意味します。2006年は、ネットメディアの無邪気な善意が現実社会と本格的に衝突するのかもしれません(頭の中が整理されてないゆえに、まとまりのないエントリーで申し訳ありません)。

追記(1月4日) Hardcodedのエントリー「危機意識がないのはどっちだ」に『発言のタイミングを逃した愚鈍なエンジニアにもう一度チャンスを与えて欲しいとも願うのだ』という記述がありました。まず、私はすべてのネット関係者やエンジニアがメディアの危険性について無自覚であるとは思っていませんし、私がメディアにいたのだから言うことを聞け、と言うつもりもありません。チャンスを奪っているわけでもないし、どんどん発言してください。このような問題は古くて新しいし、どこかの時点で解決されるというものでもない気がしています。