ガ島通信

メディアとジャーナリズムの未来を追いかける

mixiという幻想の共和国、そこは内ではなく外である

「ブログはちょっと怖いからやっていないけど、ミクシィならやってますよ」という言葉を聞く事が多くなりました。「招待制」というシステムだからか、まだ、十分にマナーが確立していないインターネットという荒野の「内側」にいるような安心感があるのですが、冷静に考えれば「外」なわけです。招待制、インターフェイス、雰囲気…、いろいろなことが重なり「外」を忘れさせる装置となっているのでしょう。

なぜこのようなことを書くかと言えば、リテラシーという言葉を口に出すのも、あまりに無防備な利用方法がまかり通っていることに驚かされたからです。いくつかあったのですが、例えば、あるコミュニティには、某企業グループで別会社への出向希望が募集されたことがトピックとして上げあられ、どの会社に行くのがいいかの相談が行われていました。『こういうとこで公開してしまうのはまずいのでは』など注意した人がいましたがスルーされ、議論は進行しているようです。『その会社は○○ですよ』『頑張ってください』など、ほのぼのとした善良なる会話がなされているのは、ある意味ほほえましいのですが、ちょっと待ってほしい。どう考えてもミクシィは「外」であり、そのトピックは問題ありだと思うのです(相談することを否定するものではない。書き方があると思う)。
総務省が5月に発表した「ブログ・SNS(ソーシャルネットワーキングサイト)の現状分析及び将来予測」によると、SNSの利用者は2007年に1000万人を超えるとされています。SNSにはいくつかのサービス提供会社がありますが(ソーシャル・ネットワーキング・サービスというwikiのページをみるとかなりの数があることが分かる)mixiイー・マーキュリー)が頭抜けた感じがします。登録者数も200万人を超えて、「つながり」を実感することが多くなってきました(IT系の会合に出席して名刺交換をした後、mixiで検索するとほとんど見つかる)。

仮にmixiのシェアが50%だとして、07年には500万人(いや、もっと行きそうだ)。だいたい福岡県相当の「人口」ということになります。もちろん、コミュニティのトピックはそのコミュニティに入っている人しか見えないものもありますが、先の人事に関連する情報をトピックスにするというのは、地方都市の路上に自分の所属する社の情報を貼り付けているのと、そう変わらないものなのではないでしょうか(考えすぎか?)。私自身も、多くの人が見えることを忘れて、私信のようなやり取りをしてしまうことがありますが、ふと冷静になって考えれば「微妙な内容」であったりすることもあります。

日記を友達の友達レベルまでしているから大丈夫と思うかもしれませんが、加入者が増えるにしたがって友達の友達も増える可能性が高い。「iNTERNET magazine 2006年1月号 make innovation with technology ! [雑誌]」には「科学で読み解くmixiのネットワーク構造」というレポートが掲載されていて、mixiの構造を分析していますが、マイミクを6つたどればユーザー全体の96%に到達できる小さい世界であるとのことです(ちなみにマイミクの平均は20人で、4人以下のユーザーが40%いる)。そのmixi日記やコメントは友達の友達が見ても大丈夫なものなのでしょうか?、友達の友達が何人いて、誰がいるか意識しているでしょうか? 私は知らない… とすれば、「まずい書き込みもあったなー」と。よく考えれば当たり前のことを、時として見失うことがあります(このエントリーはある意味自分の反省として書いている側面もある。タイトルほどたいした内容じゃなくてすいません)。

それにしても、mixiの「内側」感の作り方、構造には興味深いものがあります(ビジネスである以上、意図して作り出しているのだろうし、ディズニーランドの「雰囲気作り」に似たようなものなのだろうか?)。社会学者あたりが分析してくれないものかな…