ガ島通信

メディアとジャーナリズムの未来を追いかける

たかが弁当、されど弁当(追記あり)

言葉と言うものは難しいものですね。弁当問題がなんだか本来の意図とは全く別の方向に捉えられて行くような気がしてなりません。踊る新聞屋さんなど、タイトルが「科学的弁当法 il||li _| ̄|○ il||li 」ですけど、茶化している場合ではないでしょう。そして、こういうタイトルのエントリーがあがること自体に、激しく失望し、悲しんでいます。

取材相手から便宜供与を受けないというのは基本中の基本ではなかったのでしょうか。ずいぶん前に、リクルートからの未公開株受け取りで日経新聞の森田社長が辞任したのも、リクルート事件の大きな流れの中というのもありましたが、マスコミのトップとして「あるまじき行為」(本当にそうかどうかはもう少し深い議論があってもよかったと思うが)という批判が巻き起こったのもひとつの要因でしょう。これは値段の問題ではないはずです。経済部の記者が株をやらないなど、気概を見せるさまざまなオキテがあったはずですが、いつの間にやらそのようなものは消え去ってしまったようです(守っている人は少なかっただろうし、それがきれいごとと言われても、守らねばならない一線だったはず)。
磯野さんが、泉さんのブログ「Grip Blog」のコメント欄に

私自身は取材先から接待を受けることに寛容なところがありますが、若手記者の中には、取材先に借りを作らないためにコーヒー一杯だって割り勘にする、と頑張っている連中がいます。既存メディアでも、ブロガーでも、そういう気持ちは大事だろうと私は思うのですが。

と書かれていましたが(これが既存マスコミ界に身をおくブロガーからの唯一の反応とは悲しいことです)、私には泉さんにこの気概が見えなかったのが残念に思えてならなかったのです。

自民党のように最初から接待風なものであれば、お呼ばれ感覚でいくのも悪くはないでしょう。しかし、インタビューを申し込んで「食事を出しましょう」と言われて簡単にOKするというのはどうなのかと。私は「なめられている」と感じるでしょう。「ブロガーをなめるなよ!」「弁当食わせてどうしよってんだ!」、それぐらいの気概を見せて欲しかった。そんな気持ちが泉さんのエントリーからは感じられなかったのです(弁当を食べたぐらいじゃあ、買われないブロガーを選んでいるというのはよく理解できますよ)。

それに民主党の弁当のお金はどこから出ているのかも考えるべきです。まさか、前原代表のポケットマネーなんてことはないでしょう。政党の助成金、つまり税金か労組の献金か、そんなお金から生み出された弁当を食べるほどの責任は、私には背負えません(単なる逃げですが)。

もちろん、私も記者時代は、いろんな人とかかわっていく中で、食事をしたこともあるし、物をもらって断りきれなかったこともあります。出来る限りお断りしてきましたが、人間と人間の関係ですから、割り切れない部分もあります。何かを頂いた場合は、同じ金額のものを後から送るなど、出来る限り借りは作らないようにしてきましたが、いつも言っているように、要するにお前も毒饅頭食べてるじゃないかと言われればばそうだし、汚れきっていて、本来は泉さんに何かを言えるような存在でないことも確かです。

泉さんは、ルポライターを目指すと公言されているし、これから先に進んでいこうとしている人です(違ってたらごめんなさい)。ジャーナリズムという言葉は嫌いと何度も言っているし、自分でもジャーナリストを名乗ったことは一度もないわけですが、私の目から見て泉さんは立派なジャーナリストだと思っています。何かを評価、批判することでプロとして生きていくなら、なおさら、このような気概、気持ちを大切にしてほしいと思うのです(もちろん行動もですが)。

まあ、ガ島通信@藤代などは、昔ちょっとプロ野球(という言葉もおこがましい。社会人か?)、それもC級の球団にもかかわらず一度もレギュラーで出たこともないようなチンケな存在です。草野球でヒマを見つけてはプレーして、それでもプロに未練がましくもある、哀れな存在でしかありません。私の言葉が、茶化されたり、受け止められないとしても、そんなものでしょう。

趣味のジャーナリスト(ジャーナリストっていう言葉以外に何かないかな? こんな使い方も恥ずかしい)である私は、無理せず、手の届く範囲でこれからもやっていくつもりです。無理をしても長くは続きませんから… そして、私の出来ない部分は誰か他のブロガーがやってくれると信じています。

それではここから釣り(もう眠いし、あえて壮大に)→

まあぶっちゃけると、みんす党との会談に参加するR30氏(記者経験あり)や泉さん大応援中の踊る新聞屋さん、高田さんら、ブロガー界にいる「問題意識があると思われる」人たちでも、弁当という名の利益供与は問題なしという雰囲気確定。とすれば、民主番記者をやっている政治部の腐ったマスゴミ連中などは、このようなこと(弁当問題)が問題であることにすら気付かない可能性が高い。それであれば食っても、食わなくても、何の問題もないということになる。気にせず毒饅頭を食え! 以上

・追記 雑観練習帳の「弁当が出ます!」を読んで、頭の悪い私はようやく分かりました。私は、テクニカルな問題をいいたいのではありません。雑観さんにも、踊るさんにも、飯を食う、利益供与を受けるのは問題だとか、ただ飯には思惑がつきものだ、と言う共通認識はあるはずです(これがなきゃ、もう本当に終わっていますが)。そこから何を積み上げるのかという話になると、割り勘にしたらいいとか、とれそうなソースの重要度に応じて判断すればいいという話になってくるわけです(つまりテクニカルな問題)。私は、それ以前の原則論を言っていたのですが、どうも言葉足らずで、言葉も荒かった(いつものことだが)ようです。

泉さんの最初の「民主党が弁当を出してくれるそうです」には、問題意識があったのでしょうか? そこが問題なのです。既存メディアで少々問題意識がある人なら、「弁当を食うのは問題だが…」という共通認識から出発しているわけですが、泉さんはそのような会話がなされている場所にいたわけではありません。私は、ジャーナリストという仕事は大雑把に言えば、すべてを疑ってかかることが大切になってくると思っています。泉さんを応援したい気持ちは私にもありますが、泉さんの言葉にも注意を払い、問題意識を確認する作業も大切であると考えています。

問題意識がずれていたので上の釣りは意味がないので訂正、取り消します。

あざらしサラダさんから教えてもらった、弁護士の小島秀樹氏の「国家公務員の利害関係者との食事について」は興味深い内容でした。マスコミ、ジャーナリスト、ブロガー、ただの人etc、どういう肩書きで参加するにせよ、その書いた内容は大なり小なり世の中に影響を与える。それを考えれば、小島氏のように気概を見せるのも大切だと思います。踊るさん、雑観さん、どう思われますか?