ガ島通信

メディアとジャーナリズムの未来を追いかける

EPIC2014。マスコミは姿を消すのか?

「2014年、マスコミは姿を消してしまった。第四の権力は衰退する運命にあり、20世紀的なニュース期間は過去のものとなった…」。EPIC2014というメディアの未来予測フラッシュは、「ネットは新聞を殺すのかblog」でも既に取り上げられていますし、メディア研究者や大学生の間ではもっと以前から話題になっていたようですが、私は知りませんでした。先日参加したある「勉強会」で初めてフラッシュを見て、衝撃を受けました。


dsb(digi-squad*blog)にて日本語訳があるので、ぜひそちらを見てほしいのですが、05年以降の内容をかいつまんで説明しておきます。

07年 ソニーの電子ペーパーは本物の紙より安くなり

08年 グーグルとアマゾンが合併してグーグルゾンが誕生。一人ひとりの消費行動や趣味に関する情報を蓄積し、カスタマイズを実現

10年 グーグルゾンのコンピューターがあらゆる情報ソースを基に自動的に記事を書いて、配信

11年 ニューヨークタイムズグーグルゾンのコンピューターが著作権法に違反するとして連邦裁判所に提訴するが敗訴

14年 NYTはオフラインとなり、エリートと高齢者に向けて紙を提供。しかし、他にも進むべき道は、おそらくあっただろう…

個人的には『(2010年の)ニュース戦争は実際のニュース機関が参加しなかった』とか『(EPIC)では新世代のフリーランス編集者が次々と生まれる』、最後に紙はなくなっていないものの『ほかにも進むべき道はあっただろう』と結ばれている点などに注目しました。勉強会では、EPICがカオス化するのか質を高めることになるのか、「確かさ」がどう確保されるのか、など幅広い議論がなされましたが、興味深かったのは「確かさを担保するのに、報道機関が必要で…」というような発言があったことです。私は既存メディア側の人間として「すでに既存メディアは確かではない。確かなものがほしいという、願望のようなものを担保しているだけで、新しいシステムになれば誰か(ブロガーかブロガー集団、もしくは会社のようなもの)がそれを代行することになるだろう」というようなことを発言しました。案外、まだまだ既存ジャーナリズムがかもし出している「確かさ」を信じている、いや信じたい人がいることが、面白く感じられました。

また、参加型ジャーナリズムについての議論もありました。私はこの言葉が、多くの人の「勘違い」を生んでいると思うのです。これまでの既存メディアの人と違う、誰か(例えば、会社員だとか主婦だとか)がメディアを支えるようになるのは事実ですが、既存メディアの人材も引き続き参加型ジャーナリズムの担い手となることを忘れているのではないのかと…。つまり、取って代わるわけではなく、担い手が広がるということです。ただ、半年ブログをやってわかるのですが、日本人は「当事者」になりたがらない。コメント欄に書く人はいても、ブログに書く人は少ない。ブログで特に一次情報を掘り起こす人はもっと少ない。例えばEPICのような新時代のプラットフォームが「金」を生み、書き手に資金が分配されるとすれば、既存メディアの人間がEPICに移籍?できるでしょう。ただし、そこではこれまでと違う、スター記者やスター編集者が生まれるかもしれません。そのスター記者・編集者によって、「確かさ(「あいつのブログで取り上げているから、間違ってないんじゃないの…)」が担保されるようになるのかもしれません。


そもそも、確か(真実、本当とか…)ということを厳密に規定しようとすればするほど、怪しくなっていくわけですから…