ガ島通信

メディアとジャーナリズムの未来を追いかける

ライブドアのパブリック・ジャーナリズム

「分かりにくい」「見えてこない」との声もあるライブドア・堀江社長のメディア・報道への戦略。多くのブログが取り上げている江川紹子ジャーナルの「新聞・テレビを殺します〜ライブドアのメディア戦略」を読むと、既存メディアが持つ「志」「価値判断」を否定、判断は読者に求めていく方向のようです。ロイターやブルームバーグのように経済ニュースとそれに付随する分析で儲け(ロイターは市場を持つことで儲けている。「勝負の分かれ目」に詳しい)、政治、社会や文化面に相当する取材は『トントンでやればいい』と。既存の新聞社やテレビ局だって、報道部門は直接的にお金を生み出してはいません。どこから生み出して、どう取材するのか、堀江社長がニュースから金を生み出す新しいビジネスモデルを見つけ出しているのであれば、それでかまわない。個人的には、何十年も無風であったメディア界に新しいビジネスの風が吹くなら、それを「感じてみたい」と思っていますが…

江川氏が違和感を感じている「志」の否定についての2人のやり取りは興味深いものがあります。私は「判断は誰がする」でも書きましたが、きちんとした事実の積み重ねの前に志を前面に押し出す報道には疑問を感じています。『大マスコミ的意識。悪く言うと思い上がって、自意識過剰なところがありますね』と言う堀江社長は、マスコミに関わる人間の建前論を見切っているのでしょう。

一方、このインタビューを読んでからライブドアのパブリックジャーナリズムニュースを見ると不思議な感じがします。大学講師でライブドア報道センター長補佐であるという小田光康氏による「特集・パブリックジャーナリスト宣言1」。まず無教養な私には見出しに含まれている「レコンキスタ(キリスト教徒によるイスラム教徒からの解放運動らしい…)」が分からなかった(爆)。『一つの妖怪がジャーナリズム界を徘徊している。パブリックジャーナリズムという妖怪が』はマルクスの「共産党宣言」をモチーフにしたものらしく、気合をムンムン感じます。『パブリック・ジャーナリズムは「客観的真理」「規範的な正しさ」「主観的な誠実さ」といった理想論的な対話基準のもとに、自由闊達な異質な他者との喜怒哀楽含めた多様なディスカッションによる民主主義と自由主義の実現を目指すジャーナリズムとしたい』などと説明もありますが、これこそ主義主張を前面に押し出しているのではないのですか? 文章からは大学教授の発言のような「無菌さ」も感じます。現実を知らない原理主義者の文章とでも言うのでしょうか。あまりに時代錯誤で理解不能で、ブログを書いていなければ、最後まで読むことはなかったでしょう。偉そうかもしれませんが、お題目はいいからもっと分かりやすく書けないものなのでしょうか?

記事へのトラックバックは業界人である「ブログ時評」「ネットは新聞を殺すのか」の2つ(私が3番目)しかありません。ブログ的に言えば、寂しい状況です。これは堀江社長的な『人気ランキング』では評価されないのではないでしょうか? 江川氏のインタビューで堀江社長はPJについて『普通に集めて書くだけ』『(市民記者は)単なるコスト削減策』と言い切っていますが、PJは『「マスコミ」に植民地化されたジャーナリズム界を奪還するレコンキスタを展開し…』などと書いているのが「普通」とは私には到底思えないのです。もちろん、堀江社長も考え(インタビューなどでは明かさない本心も)はあるはずですが、大学で語られるようなジャーナリズム論の実験場として以外は一向に見えてこないPJニュースをチェックするたびに、明確な方向性を持たずに「箱だけ作ればなんとかなる」という丸投げ的な計画でメディアを運営しているのではないかという疑問が頭をよぎってしまうのです。