ガ島通信

メディアとジャーナリズムの未来を追いかける

ブログ炎上についての考察

炎上するのは記者ブログだけではないようです。少し前ですがネットは新聞を殺すのかの「潰されない記者ブログ」でこのブログが取り上げられたのですが、決して「潰されない」というわけではないと思うのです。読者が潰そうと思えば潰れる可能性はあります(事実上誰も訪れないという潰れ方もある)。これは想像の範囲内に過ぎませんが、私と一緒に紹介された「R30」「J考現学」「ブログ時評」を運営しているブロガーは「自分で潰す(逃亡)するつもりはない」(私に限っては今のところ。飽きたら閉鎖するかも)のではないでしょうか?それに、潰れることと炎上は別だと私は考えています。

炎上防止についてはR30さんが『批判コメントがついても、すぐに答えない。「放置」これです。そうすると不思議なことに、必ずやそれを見かねた他の読者様がどこからか現れて、反論して下さいます』とブログで書いてありましたが、同意する部分は多いです。「放置」するのは結構我慢がいることです。私などは「批判」に慣れていない既存メディアの甘い世界にどっぷり浸かっていた上に短気なので、すぐ感情的にジリジリしてしまって思わずコメントを入れてしまいそうになりますが(思いっきり釣られてるよ…)、できるだけ読者を信じて、ネットのリテラシーを信じて待つことにしています。人によってはこのブログのコメント欄が「荒れている」と思うかもしれませんが、私の意見に皆が皆同意するほうがおかしい。批判があって当たり前です。最終的には、炎上なのか祭なのか、盛り上がっているのかはそのブログの運営者自身の判断になるのでしょう。

炎上と言えば、黒影さんをはじめ、何人かのブロガーが心配している「ある東大生の一日」について。私には、今もって本気なのかネタなのかよく分かりません。このブログをエンターテインメントと見るかどうかは読者次第ですが、最近は管理人が二人になったり、釣ろうとして過激に書いてみてもコメントは減少するなど、厳しい運営が続いているようです。マジなのかネタなのか、実は本人も良く分からなくなっているのかもしれません。それでもあそこまでアクセスとコメントを集めれば「一発当てた」ことは間違いありません。問題は続けることができるかです。私のできることは、読者としてたまにブログを覗くぐらいです。


ブログをやり始めてわかったのですが、記者と身分を明らかにしてメディアの問題点や不満点を書いていると必然的に自分と向き合わねばなりません。読者の目は節穴ではありません。自分を偽ったり、大きく見せようとすれば必ずボロが出てしまう。炎上→閉鎖となったブロガーは、読者を信じず、バカにしていたのかもしれません(まあ、信じていても燃えることはあるわけだが…)。それか、自分と向き合うのが怖くて逃げた、ダメな自分を認めたくなかったのかもしれません。はむはむさんが指摘されているプライドの高い人たちに関しては既存メディアも例外ではないですから。


もちろん、ブログにはいろんな形態があるわけで、記者ブログではなく、趣味の世界などのエンターテインメントとして、またはもう一人の自分を演じようとして、ブログをやり始めたのであればまた違ったことになっていたかもしれませんが…