ガ島通信

メディアとジャーナリズムの未来を追いかける

「記者を辞めたほうがいいよ」

毎年2月の新聞休刊日前夜に各社の記者と集まっています(と私が勝手に決めて声をかけているので皆は迷惑かもしれない…)。主な参加者は、私の住んでいる地方に勤務していた全国紙や通信社、テレビ局の記者で、今は各地でバラバラになっています。30歳前後になってくると各クラブキャップやサブキャップなど重要な部署を任され始め、なかなか集まれなくなってきました。今回も私を含めて4人。他の3人は同じ某大手紙(朝日ではない)の記者で、単に某紙の飲み会に私が参加したようなものになってしまいました。

同窓会的な側面もあるので、話はいつも「○○さんはどうしてる?」「何を担当しているの?」から始まります。そして、ライブドアや朝日新聞vsNHK(記者クラブなどでは朝日支持派が多いそう)などを、時には脱線しながらざっくばらんに話し合いました。他の3人はブログを知りませんでしたが、しがない記者日記騒動(*参考「しがない記者日記で起きたこと」)はどこかの雑誌に載っていたらしく知っているようでした。私がブログの話や参加型ジャーナリズムの話をしていると、一人が「お前は結局何をやりたいの?そんなことなら記者を辞めたほうがいいよ」「そんなことよりも今は記者としてのスキルを上げることのほうが大事じゃないかな」と言ったのです。そのときはカチンと来たものの、真っ当な意見です。まるで経営者のようにメディアの話ばかりしているのが、無意味に思えたのかもしれません。

そう、確かに逃げてる。記者として充実した時期というのは体力、精神的に大変なことの裏返し。抜かれると責任も大きい。連日の夜回りとデスクとの攻防の末に何があるのか… そう考えると、社会部や政治部といった「本流」(既に私は外れているわけですが)の記者でい続けることの虚しさを感じてしまうのです。単純にやりたくないのです。それと、私自身の適正の問題。記者というよりは、新しいメディア戦略などに向いているのではないか、いやそれほどたいしたことはないという自信と不安を指摘されたように思え、カチンと来たのかもしれません。

最後に、何故記者をやっているのかという話。3人とも新聞があまり多くの人に読まれていないというのは分かっていました。「例えば取材先や街のおばあちゃんとかに『この前の記事良かったよ』とか言われて嬉しい。そういう一瞬のため。一人でも読んでくれる人が紙面の向こうにいる。それを信じてやっているのじゃないの?」という話になったのです。確かに。私は多くを望みすぎているのかもしれません。今ある「紙」の向こうにも読者がいる。それを信じて書き続ける。「紙」の現状が厳しいと分かっていても書き続ける。経営がものすごく遠くに存在(もちろん地方紙でも遠いわけですが距離感が違う)する大手紙の記者であればそうすることしか出来ないのかもしれませんが、この会話は私に大切な初心を思い起こさせてくれました。