ガ島通信

メディアとジャーナリズムの未来を追いかける

魚住昭講演要旨・2と感想

魚住氏の講演要旨(1)の続き…

組織に幻想を持つな
最初にNHKの長井さんの話をしましたが、組織はろくでもないものです。いい組織、理想的な組織はありえない。組織に属している間に、自分の力量を蓄えてほしい。会社に飼いならされずに、人生のステップととらえてほしい。組合だってそうだ。組織というのに何らかの幻想を持つのは間違い。今のNHKのように本当にどうしようもない組織なのか、道警裏金を暴いた北海道新聞のように仕事ができる組織もある、あれは本来であれば地方紙ではできない、あれは全国紙がやるべき仕事。より悪くない組織を作ることは可能かな。今のマスコミ界の現状を見てますと、読売、朝日も例外でないが、大新聞、大放送局に比べれば、北海道、琉球、熊本日日など地方紙に素晴らしい仕事がある。それは地方紙がやっている。何故地方紙なのか? それとは対照的に東京はどんどん劣化していくのかを考えるんですが、一つは組織が巨大化しすぎると自然と堕落し、硬直化していく。大きな組織であれば、社員たちの意識の特権化・エリート化がジャーナリズムの機能を果てしなく失わせている。記者たちもカン違いしている。収入もはるかに恵まれている。

自由であれ
マスコミに働く人に自由がなければ、だめ。ジャーナリズムの理念は、大ざっぱに言えば、弱きを助け、強きをくじくことだと私は考えます。新聞社の組織自体が、社員の自由を最大限に尊重しなければ、そういう報道はできっこない。より悪くない、比較的マシな組織であるためには、皆さんがその組織の自由度を自分たちで高めていくしかない。具体的に言うと、たいてい私が泣き寝入りしてしまったケースで自分は納得しない。声を上げる。歴史を振り返ってみれば、どの組織でもジャーナリズムの理念を問われる問題が何回も起きている。その問題に直面した人が十分に闘わなかった。私自身が十分に闘わずに、皆さんに言うのは卑怯なことだと思うが、フリーになって組織を離れると、いかに一般の感覚から離れているか、記者がいかに特権化しているか。今社会で起きているを、いかにきちんと見ていないか、痛感するようになった。


仲間をつくる
組織にいながら自分であり続けるには仲間が必要。組織内で逆らうのに一番怖いのは孤立感。普段から仲間を作っておいてほしい。これは組合が言う団結とはちょっと違う。自分が本当に信頼できる人ということです。


辺見庸氏の「ペン部隊」の一部を読んで講演を締め括った。


質疑
Q、「(警察担当者をしているが)夜討ち朝駆けでネタを取ることは今でもいいと思いますか?」
A、かつての自分は権力の中に入ったまま。非常に難しいが、入ってまた出てくる作業が必要。権力との距離が近すぎて、本質を見誤ってたという思いがある。


Q、「もしデスクでなければ今も共同でいたか?」
A、あのまま一線でいれれば共同を辞めなかった。特別扱いが許されず、横並びの組織だから。書ければずっと共同の記者だった。


Q、「何故、共同でいつづけるのか?」
A、書けるからです。


Q、「政治的介入とかがあればどうするのか?」
A、政治的な介入に、きちんと立ち向かえたかどうかは自信がない。


Q、「読者とかけ離れたのを感じた具体的な瞬間はありますか?」
A、オウムの麻原の主任弁護人の安田氏が逮捕されたとき、メディアは人権派の仮面をかぶった悪徳弁護士と報道した。裁判記録を読んだり取材をすると、その事件の捜査がいかにずさんで、でっち上げであったかというのが分かる。元検察担当者として起訴するからにはあるていどの証拠があるんだと思ってたが、そうじゃなかった。新聞社の人は安田事件の真相はほとんど取材していない。記者クラブの目から離れると、まったく違う世界が見えてきた。


Q、「今の共同についてどう思うか?」
A、んーん(言いにくそうに)。どうしようもない。どこがどうしようもないのか。ジャーナリズムの世界に入ってきた人は心の中にどこか、自分の仕事が社会の役に立っているという誇りのようなものを持っている。それが自分たちの仕事を根っこのほうで支えている。今の共同の人事評価システムの中に、世の中の役にたっているという項目はない。ジャーナリズムのために仕事をやっているという気概を忘れている。どうしようもないと思うけど、読売やNHKよりはまだ救いがあるかな…  (了)


◆私の感想 一言で言って、ものすごくがっかりしました。やはり旧態依然としたサヨクだったかと…(私自身も根本的な思考がサヨク的だと思っているのですが、それでもかなりのズレを感じました) まず、朝日新聞の記事を疑うような発言がありませんでした。ジャーナリストなら、NHKを疑うのと同様に、朝日も疑うべきです。それに「朝日新聞がここで押し切られるようなことがあれば、ジャーナリズムは終わり(また戦前に戻ってしまうというような発言でしたが、正確な表現は忘れてしまいました)」と言っていましたが、私は大いなる間違いだと思います。状況分析がまったく出来ていない。私は、朝日がもがけばもがくほど、安部、中川両政治家の発言力が増し、NHKの政治との共同戦線も継続すると思えてならないのです。「戦前の不自由な時代がもう目の前に」的な朝日プロパガンダは正直辟易としていますが、私の中にやや不安な気持ちがあることも事実です。しかし、本当は朝日こそが、不自由な時代を呼び込んでいるのではないかと思うのです。


なお、朝日とNHKのどちらが正しいのかについて、私の以前の記事(*「NHK介入問題」)でも明確な意見を述べていません。私は両者の説明を通じてしか事態が理解できないので、双方が異なった主張をしている以上、双方の主張を聞くべきだと考えています。しかし、朝日の紙面を見ても、会見を伝えるテレビを見ても、具体性はなく「介入」の納得できる根拠は示されているとはいえません。「長時間にわたる自己弁護は放送法に照らして重大な問題がある」という朝日の逆襲は、論点をそらすとしか受け取られないと思います。 それに、NHK側の公開質問状の詳細も書いていない。朝日も自己弁護のプロパガンダなのでは?


NHKも「政治家への説明」は認めています。それを朝日の記者が「介入」と決め付けたのではなかったか、NHK幹部が政治家に「慮る」可能性があるということが理解できなかったのではないか… 朝日の取材は怪しいのではないか?という気持ちが日々大きくなっています。


NHK問題ばかり書いてしまいましたが、「読者とかけ離れた瞬間」の質問への回答もひどかった。質問者は、読者とのかかわりを聞いているのに、裁判の話とは… がっかりを通り越して、悲しい気持ちになりました。

(追記)高田さんからのTB。ありがとうございます。私も「政治とNHKの癒着問題」は問題があり、書くことは意義があるとの考えです。NHKは与党政治家には自ら説明するようですが、海老沢問題のときにも分かったように、真の顧客である視聴者にはまともに説明するつもりありません。

ただ、こういう問題では政治的思惑や思い込みは徹底して排除しなければなりません。それは、警察の裏金という「危険地帯」に踏み込んだ高田さんならよく理解されていることでしょう。朝日の甘い(多分ですが)報道が、逆に政治とNHKの癒着を認めてしまう方向につながっていく。NHKの問題を覆い隠してしまう。この逆説というか皮肉に私は怒りと絶望に襲われるのです。



追記(1月23日深夜)さっきこの文章を読み直していて「批判ばかり」だということに気付きました。魚住氏はフリーです。自分の立場でものを言っています。私は組織に属し、禄を食みながらブツブツ言っている。そんな自分自身に少し恥ずかしくなりました。それに、魚住氏は「妻が働いているから辞めることができた」「組織を出た人間なのに、皆さんに組織内で頑張れなんて言える立場ではない」など、自分の弱さも認めていました。決して偉大な記者ぶってはいない。きれい事が先に出て、弱さを認めたがらないマスコミ業界の中で、この発言に親近感を持ちました。