ガ島通信

メディアとジャーナリズムの未来を追いかける

魚住昭講演要旨・1

「こんな汚い格好でごめんなさい」。壇上の魚住氏はラフな服装。NHK問題の取材でとても忙しく、スーツに着替えるタイミングを逸したとのことでした。語りかけるような口調で、自身の体験や現在のジャーナリズムにおける問題点を指摘しました。以下、新聞労連青年女性部全国集会(in岡山)で講演した魚住氏の発言の要約です。

NHK問題
私も組織にいた、たった一人で組織に反旗を翻すのがどれほど勇気がいるか。NHKと安倍、中川サイドが共同戦線を張って、長井証言をつぶそうとしている。朝日新聞を攻撃している。そういう状況に今なっている。NHKはニュース枠を大幅に割いて、朝日との全面戦争を内外に宣言しているようなものだ。番組の改編のされかたは極めて異例だが、もしNHKが政界の雰囲気や右翼の動きを考えて、自主的に改編したというのであればNHKはジャーナリズム、報道機関としての看板を下ろさなければならないだろう。それに、放送内容を政治家に事前説明するのが通常業務であると言っている。そうであれば、芯から腐敗している。

駆け出しのころ
大学でマージャンで遊ぶのに退屈したころ、「仕事をしなくても金をくれるいい会社だと」先輩に言われて共同に入った。八王子でサツまわり、裁判所取材をやって、岡山に移って3年過ごした。原稿を書くのがあまり得意ではないので、特ダネ記者になろうと思った。そのうち重要なポストを担当するようになり、特ダネ記者として周囲から重宝され、チヤホヤされるようになる。特ダネを取ると社内でデカイ顔ができる。自分が組織の中で居心地よく過ごせるためにやっていた。差別や人権にかかわるようなものを一生懸命取材した記憶はほとんどありません。ものを考えないで、ひたすら特ダネを探す、アホな生活でした。

東京地検特捜部時代
1989年のリクルート事件。事件の取材はどういうことかと言うと、捜査当局から情報をもらうのが中心となる。捜査当局がつくる事件像を、新聞記者も前提としてしまう。捜査官の目で事件を見てしまう。被告や容疑者側からものを見ると、まったく違う事件の像がでてくるという経験を少しずつしていく。そうなると、自分が書いている記事がつまらなくなってくる。事件を浅くしか捉えていない。多角的にものを見て、初めて事件の本質が分かるはずなのに。いつまでたっても、社会や人間の本質を書くことはできないとフラストレーションがたまってきた。検察を終えて、社会部遊軍になって、企画者の連載ばかりやっていた。結局、京都支局のデスクに行くことになり3ヵ月で辞めた。記事も書けないし、取材もできない。自分が自分でなくなった気がした。

共同にもある権力との癒着
決して共同が嫌いなわけじゃない。多くの先輩や仲間に助けてもらって学んだ。しかし、ある汚職事件をやっていたときに「警察庁の元首脳が贈賄業者とつるんで、変なことをやっている」というネタを聞いた。記事を書いたのに、出なかった。部長が記事を止めていた。説明を聞くと「あの首脳は共同がお世話になっている人だ。その人の記事を出すメリットとデメリットを考えるとダメだ」というのを聞いてあきれた。デスクたちが部長を突き上げて、記事は出ることになった。組合で問題にしてほしいと言ったんだけど、部長派のデスクがやってきてつぶしてしまった。そのデスクの顔は今思い出しても吐き気がする。リクルートでもあった。加盟社の幹部にリクルートコスモス株を持っている人がいて、その記事が出るのに1カ月もかかった。共同に対する幻滅が起きた。けれど、まだ組織だから質の悪い幹部もいると思ってた。

愛想が尽きた瞬間
竹下氏の金庫番の青木伊平さんの連載記事を書いていたら、OBや政治部の幹部から問い合わせが入るようになった。どうも、同僚とデスクが会社側と取り引きをしていた。何人かをまとめて本にする予定だったが、青木さんの部分を抜くことだった。それで、竹下さんの逆鱗に触れることを恐れる幹部と話をつけたらしい。自分が一番信頼していたデスクによって裏切られた。ある種の取り引きを成立させることによって本を出す。愕然として、デスクに抗議して。あまりに怒りが強くて、唇がワナワナしてて、言葉が出ない。デスクはどうも何故怒っているのか分からないようだった。そのときを境に共同通信という組織にホトホト愛想が尽きた。組合の幹部にも相談した、組合ニュースに顛末を書くべきだと考えていたが、できなかった。そのとき自分はたった一人だ、誰も味方がいない。自分ひとりで組織に向かって立ち向かう恐怖感を持って、組合ニュースで暴露できなかった。なんとも情けない記者でした。その後やったことは徹底的にサボること。半年ほどは週に1回ぐらいしか会社に出て行かずに、テニスとパチンコと酒の日々を過ごしていた。 …つづく