ガ島通信

メディアとジャーナリズムの未来を追いかける

札幌の飲み屋で「現場」とは何かを考えた

札幌で高田昌幸さんに会い、飲む機会に恵まれました(お忙しいのに本当にありがとうございました。そしてご馳走様でした!)。ブログを通じての出会いに感謝。高田さんは一言で言うなら魅力的な人(仕事には厳しそうだけど…)で、眼の強さが印象的でした。同世代の記者2人も加わったざっくばらんな会合は、刺激的で考えさせられるものでもありました。


高田さんのこだわりを表現するなら「疑う目」と「現場主義」ということになるのでしょう。それが同警裏金取材につながっていると私は理解しました。この2つは、記者として必要な条件としていろいろなところで議論されていますが、本当の意味で実現できている人は少ないと思います。

「疑う目」は、最近の事象で言えば「治安が悪化している」「不況が続いている」「ニートが…」など、なんとなく同意してしまいそうなものでも、一度その周辺やデータを洗ってみるということです。行政や企業の発表が本当にそうなのか、引用しているデーターは都合よく解釈されていないか− いったん立ち止まって考えてみるということです。


 問題は「現場」です。多くの記者が「現場」をカン違いしたり、理解できていないと思うのです。ここで言う「現場」とは火事や事故でサイレンが鳴り響いている現場ではありません。記者が本来立つべき基盤というか、取材の対象というか、社会が動いているニュースの発生源のようなものです(うまく言葉が見つからない… ボキャ貧でごめんなさい。何かいい言葉があれば教えてください)。例えば、警察の「現場」とは、犯人を逮捕したり、交通事故処理を行ったり、している組織の末端(あまり好きな言葉ではありませんが)の人たち。しかし、記者が話を聞くのは副署長や次長、本部の課長らです。警察にとっての問題点は何かを考えたとき、警察組織を担う人たちに話を聞き、丹念に取材を行ったことが裏金報道につながったと考えています。


これは、街ダネでも行政ネタでも同じです。公共バスの赤字について書く場合、記者はバスに乗っているのか? 百貨店の消費動向について書く場合、記者は百貨店をぐるりとまわって買い物をしたり(買い物するフリでもいい。店員と会話できるし)買い物客に話を聞いているのか? 多分、交通局の幹部に話を聞いたり、百貨店の広報に話を聞いて、最後のコメント用に利用者の声を聞くというのが今の取材スタイルでしょう。それでは本当の利用者の声は分からない。しょせん、交通局や百貨店が考えた枠組みの中での記事にしかなりません。出発点が違うのです。「現場」からニュースを拾い上げることによって、独自の視点が生まれる。それが、おもしろい記事につながっていくのではないでしょうか?


では、新聞の「現場」とは。制度的な意味で言えば販売の現場は販売局と販売店の間ということになります(新聞社は読者に紙を売るのではなく、まず、販売店に売っているので)。販売店や販売局からの提言や感想が読者の声などとして編集局に紹介されるケースがあると思いますが、それは本当の読者の声ではありません。「現場」はニュースを求めている人たちです。それは、新聞を手に取る読者であり、新聞を手に取らずにテレビやネットを見ている人たちでもあるのではないでしょうか?


次回は新聞社内に横たわるセクト主義(言葉がサヨクっぽい…)。例えば「社会部偏重主義」のようなものについて、新聞というパッケージの観点から考えてみたいと思います。